17話

福ちゃんは、こう言った。 「ずっとそうしなくちゃそうしなくちゃって思ってて。ていうか、そう思ってることにすら気がつかないほど、ごく当たり前に染み付いてたんだと思う」 「笑顔でいることが?」 私たちは松原真が脚本監督した映画を撮るために緑の家の…

16話

彼女の名は福ちゃんといった。 命名規則上は暗い顔して外を歩けない。 考えてみるに名前というのは、産まれてすぐに与えられる他者からの贈り物であり呪いである。 何と言っても解ける呪いというところが最も嫌らしい。 彼女はその"笑顔でいなければならない…

1-9

水井近子は、最終的には、布原銀行の頭取に納まった。 水井の父は地方銀行の課長どまりではあったが、子供3人を私立幼稚園に入れ、市街地ではあるが3階建ての2世帯住宅を建造し妻の両親を引き取るなど大した甲斐性の持ち主だった。それにも関わらず、水井は…

1-8

右手の人差し指を口の前にあて、左手をゆっくりと老婆の額あてる。こうするとさらに良く心の声が聞こえることに布原は気が付いていた。 「お孫さんかな、そう」意味深に語り、言葉を少なくする。 目に涙を浮かべて老婆は言った。「布原さん、いや、布原様、…

1-7

布原は時子と結ばれると、大学進学をあっさりあきらめた。 「なんかね、どーでもよくなってしまったんだわ。というのもね、大学ってのはさ、特定の会社に入るための資格センターみたいなもんじゃない?頭の良しあしでまず篩って、偏差値の高い人は上場企業、…

15話

かつてケルベルロスは言った、地獄の入り口には道標がない、と。 俺たちはそうとは知らずにいつの間にやら地獄に迷い込んでいたけれど、そこが地獄の入り口だとは誰一人気がついていなかった。 これは考えようによってはとても面白いことで、地獄にいること…

14話

家族を捨ててから数年後、大ちゃんは2種免許をとって介護タクシーなる商売を始めた。Facebookでその情報をみた俺はあきれてしまった。自分の家族も救えないやつが、人の世話だって?悪い冗談かよ。 数日後、たまたま真と洋平を会う機会があったのでそのこと…

13話

2018年現在、あれからもう十年以上経過した。 「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」という言葉通り、緑の家のメンバーの不幸も実に様々な形をとっていた。 いち早く緑の家から引っ越し、コミュニティ崩壊…

12話

「どんな人?」2007年春。 「天使みたいな人」 俺としんさんは緑の家の俺の部屋にいる。 しんさんはそこで俺に恋の話をしている。 俺もしんさんもどうしようもないクズだから、それはそれは仕事を変わった。 倉庫整理、インターネット回線の電話営業、出…

11話

パーティーが終わってから緑の家ではたくさんのことがあった。 大ちゃんの彼女の妊娠が発覚した。 真に彼女ができた。 操に彼氏ができた。 春ちゃんが激しいうつ病状態になった。 洋平が大学時代からの女と別れた。 しんさんも、説明した通り、一人になった…

猛暑

千代田区にある当工場の11時の気温は39度だった。首にまいたタオルが汗で2倍ほどの重みになっている。ためしに絞ってみると、冗談ではない、ばちゃばちゃと音をたてて床に黒いしみをつくった。 工場全体の空気は重々しく、人はもちろん、機械も物もスローモ…

10話

2005年11月18日 俺たち、というのは緑の家にすむメンバー全員は、下北沢にいた。 下北沢というのは緑の家があった練馬区からみれば、極地、彼岸、最の果て。しかしカラー的には、完全に同系ということになるので、会場につく頃には町のあちこちにいるアング…

9話

しんさんが金を借りにきた翌週から俺は新しい職場で働くことになった。給与はそれまでの3倍ほどになった。それまでが時給900円なんだからたいした金額ではないが、それにしたってそれまでの3倍というのは逆にその程度の収入の人間にショックを与えるに…

8話

土曜日の朝、俺の部屋の扉がノックされた。 「誰?」前日も遅くまで酒を飲んでいたから少々不機嫌。我ながら声が尖っている。 「俺。しんすけ」昨晩、たっぷりと部屋でグリーンラベルをご馳走になっていたので開けないわけにはいかず這いずるように起き上が…

7話

少し俺の話も。 時は、2004年4月。 六本木ヒルズがオープンしてちょうど1年を迎えた月。 俺はオープンから1年勤めたその不夜城のテナントのひとつである中華料理屋を辞めて、京橋にある商社で働くことになった。 商社といっても社員は社長と俺を含めて4人、…

6話

緑の家に越してきたしんさんが最初に捕まえた女はみさおだった。 みさおは北海道出身で、しんさんが越してきたときにはドミトリーに住んでいた。 ドミトリーというのは、本館から独立した、2段ベッドが2つあるほったて小屋で、1日単位で宿泊することができる…

5話

引越しが完了するのを見届けてからしんさんが暮らすことになる、211号室に遊びに行った。 「おつかれ~」グリーンラベルの500ML缶を3本もって部屋をノックすると、大ちゃんが顔を出した。 告白すると俺は彼の笑顔に弱かった。なんなら子供をひき逃げしたと告…

4話

たしか、しんさんが俺が住んでいた「緑の家」にやってきたのは夏の終わりごろだった。 たしか、ひどく暑かった日の夕方で、夕立が去ったあとに、管理人の長谷川が軽トラで帰ってくるのが、眼下に見えた。助手席から降りてきたのがしんさんだった。丸刈りで、…

3話

「しんさん、おはよう。ある?」部屋をノックするとしんさんはすぐに出てきた。 「あるよ」しんさんの部屋にはちょっと大きめのスピーカーと革張りのソファーがあった。スピーカーからは雑音のような音楽が流れている。旋律と呼べないこともないレベルのオー…

ユウジ

俺が初めてユウジに会ったのは四ツ橋の近く喫茶店だった。 「音楽は在る。もうすでに俺の中にある。問題はどうやって連れ出すかなんだな」 喫茶店リトル・ジェームスでユウジはウィンナーコーヒーを飲みながらセブンスターをひっきりなしに吹かして音楽論を…

1-6

「あなたはきっとできる人」 布原はお礼だといって彼女をワタミに招待した。 なけなしの金で、烏賊の一夜干、ししゃも、セロリの漬物などを注文し、飲めない酒で乾杯。二人はすぐに心打ち解け、身の上、行く末などを語っているうちに、時子の手は自然と布原…

工場員閑居して不善をなす

工場員は暇である。 暇な工場員ほど暇なものもあるまい。 なぜといって、何も流れてこないラインの前に立っていても何も起こらないからである。 物を作ってこその工場で、何も作っていない工場というのはもはや工場ですらない。 それはただの建物であり、そ…

よっくん

俺は、箱崎海岸の海辺で親友のよっくんとこんな話をしている。 目の前には小ぶりなたき火がたかれている。あいつは冷たいの、俺はあったかいのをキメていたせいで会話はとことんかみ合わない。 「なあよっくん、子供のころの夢ってなんやった?」 「なんやろ…

番外編 昔の話 その1

人口20万人都市というとだいたいどのくらいかというと、東京ドームでいうと4個分。 東京都の区でいうと、渋谷区の人口くらいだ。 渋谷区の面積が15㎢であることに対して、私がこれから述べようとしているN市は200km2ほどの大きさで、10倍以上の広さというこ…

人生とはと愚考する超工場員が

いま私は工場の離れにいてこっそりとNRPのHPを開き、今朝聞いたThe Lemon Twigsという兄弟バンドのファーストシングルカット「As Long As We're Together」を再生しながらこの文章を書いている。 https://soundcloud.com/thelemontwigs Bobが紹介した通り、B…

超絶への道

超絶工場員になるためにはどうしたよいのだろうか。 より多くの金を稼げばよいのだろうか? まあそれはとりあえず間違いのない路線なのでおし進めるとして、どちらかというと教養の部分をより高めたいと工場員は思った。 自分に足りないのはどんな知識だろう…

超絶工場員になる

男子三日会わざれば刮目せよとかいうじゃない? でもさ、工場員なんてやってると毎日判で押したように同じ時間に出勤して、いつもの仲間にいつもと同じ挨拶をして、いつものロッカーでいつもの制服に着替えて、いつもと同じラインに立ち、同じ部品が流れてく…

2話

僕らは全く自由に不自由を謳歌していた。 いや、ことによると全く不自由な自由を謳歌していたのかもしれない。 それはわからない。 ここに住む誰もが非正規雇用の労働者で、介護をしたり、清掃したり、ウェブショップでガラクタにキャッチコピーをつけて売っ…

お盆の工場員

先ほどから拙宅では扇風機の羽が旋回し、部屋を仕切っているビニールのカーテンがそれに反応し、シャ•••、ジャ•••という無機質な物質が擦れあう音以外は何の音もしていない。 いや、それは嘘である。 冷蔵庫のラジエーターからしているかすかなカリカリ音を…

出世した工場員

出世したとは言い件、所詮勤め人。何ら昨日と変わりはないさと嘯いてみても周りが放っておかない。 ども、工場員改め、超工場員です。 まさか、とは思った。 ホントかよ、とも思った。 嘘だろ、と思ったときにはそれが叶っていたため、ことさらにに驚愕する…