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右手の人差し指を口の前にあて、左手をゆっくりと老婆の額あてる。こうするとさらに良く心の声が聞こえることに布原は気が付いていた。
「お孫さんかな、そう」意味深に語り、言葉を少なくする。
目に涙を浮かべて老婆は言った。「布原さん、いや、布原様、私はもうどうしたらよいか」そしてこうべを垂れて布原の膝に突っ伏すと嗚咽の声を漏らす。

人の悩みというのは、だれかに話した時点で8割がた解決したも同然である。布原は殺到する相談者との実地体験からそのことを言語化することもなく知った。要するにとにかく聞いてあげればよいのである。そのうえで、必要とあれば相談者がどの方向に本当は行きたいのかを示してあげるだけでよい。

超能力と呼んでも差し支えない力――――読心術――――が備わっている布原のアドバンテージは、この方向性を相手の言葉を聞かずとも知ることができるところである。

「孫がぐれてしまって手が付けられない。家の金を盗む。自分の娘である母親を殴る。飼っている猫を虐待する。夜中に轟音のバイクの集団が庭先に集結する エトセトラエトセトラ」

オーケー。そら深い悩みだわ。

「人は多かれ少なかれ、悩みを抱えているものだよ。これはあたしら宗教家からしてみるとビジネスの種でね。もっというとお金の芽で、これをどこまで大きくできるかが手腕に見せどころなんだね」
種々の罪で逮捕された後、ある週刊誌の取材で布原はこう宣った。
「多くの都内の精神科の看板下げてる医者が単なる薬屋に堕しているわけじゃないですか。でも彼らはいっぺんに患者の財を強奪することはできない。あたしらにはそれができるんだ」

さて、ここからが布原の本領発揮である。
老婆の肩に静かに手を置いた。そしてゆっくりとその手に力を籠める。
顔を上げた老婆が見たのは泣きぬれた布原だった。
「つらかったでしょう、中川さん」かすれた声でそういいながら、肩に置いた手をさするように動かす。目をそらさずに頷きを繰り返す。感極まって中川と呼ばれた老婆は声を上げて泣きだした。布原はいつでも泣くことができたのである。しかも何度でも何度でも。
「布原様、布原様」老婆の咆哮にも似た絶叫が鍼灸院の片隅から窓を揺らしている。

人を変えることは難しい。
布原は知っていた。
このケースだと、孫を変えることは全くの不可能ではないものの、非常に手間もかかるし、面倒くさい。
ではどうしたらよいかというと、傾聴し、共感し、老婆の全幅の信頼を得た後に、老婆のほうの心持をかえるのである。
無軌道な孫を持ったことは大変な不幸だが、それはあなたにとっての試練であり、修行の場である。
神信じ、祈ることで、その「苦しみ」から解放される、と信じ込ませることができれば、その者は、布原の言葉を借りれば、『財布』になる。お布施をすることが、すなわち苦しみを軽減する方法だと教えるからだという。

中川という老婆は、涙でぐちゃぐちゃになったハンカチを握りしめながら感謝の言葉を重ねると、診療所の扉を開いた。そして何一つ問題が解決したわけではない家に帰るのである。

外には同じように救いを求める人々が列をなしていた。
布原は机の下においてある冷蔵庫から500mlのコーラペットボトルを取り出すと喉を鳴らして飲み干した。そして、成人したゴリラの屁のようなゲップを一つすると、次のかたどうぞ、といった。カーテンをくぐって表れたのは、ロングヘア―の妙齢の女性。背がすらりと高く、前髪を眉毛の上で揃えと遠くを見ているような涼しい視線が彼女の知性を湛えていた。のちに布原の第二婦人と呼ばれる水井近子であった。