5話

引越しが完了するのを見届けてからしんさんが暮らすことになる、211号室に遊びに行った。
「おつかれ~」グリーンラベルの500ML缶を3本もって部屋をノックすると、大ちゃんが顔を出した。

告白すると俺は彼の笑顔に弱かった。なんなら子供をひき逃げしたと告白されても許してしまいそうな、無重力的な魅力を彼はもっていた。
典型的な色男で、長身痩躯、中性的な顔立ち、肩まで伸ばした髪を揺らしながらBlack Birdなんかをさらりと弾いたりした。料理がうまく、さりげなくコムデギャルソンの服を着こなした。そして、絶望的なまでの●●●●ーであきれるほど向こう見ずだった。俺が出会ったころには、ある女性を深く愛しており、無茶をすることはなかったので人づてに聞いた限りであるが、こうして文章に残すことが憚られるような、武勇伝のオンパレードであった。今もまだ生きていることが不思議なほどだ、というのが彼を良く知る真の弁だ。

さて、そんな大ちゃんとしんさん。
―――――――実際にカリスマである男と、誰よりもカリスマでいたい男。

もはや確認のしようもないが、実はしんさんは大ちゃんを疎ましく思っていたのではないかと、俺は疑っている。
「隠者希望なんだけど、人気者すぎて、周りがほっといてくれないんだ、ははは」というのがしんさんの目指ざしてやまない立ち位置だったからだ。

緑の家はどうやってさがしたの?ときいたときに「大ちゃんから紹介されてさ」とそっけなくしんさんは答えていたがその瞳の奥に灯っていた嫉妬の焔を俺は見逃さなかった。

それほどまでに大ちゃんは輝いていたし、しんさんはくすんでいた。

部屋にあがると、汚らしいゲストハウスにはどうしたって似つかわしくないものがいた。幼子である。
「音って書いて、オト。よろしくね」しんさんは俺が渡したグリーンラベルを開けるとそういった。

俺は仰天して、できることならバック宙をしたかったが、できなかったので、はーん、というだけに留めた。当時「緑の家」には20人ちかい三十路前後の人間が住んでいたが、下半身も財布の紐もゆるゆるの連中の集まりのはずなのに、子供を連れている人間はいなかった。みんな臆病だったのだろう。

そんなわけで俺にとっても知人の幼児は初めてだった。

俺は、おもちゃみたいな彼の手をとって、よろしくね、と愛想よく言った。

彼は何も答えず、手元にもっていた、こんにゃくみたいな灰色の物体を食みながら、そこに集まったいい年のおっさんたちを下から睥睨していた。背景には音楽が流れていた。何の音楽だかわからなかったが、どこか明るくて、稚拙な感じの響きだった。ギターの6弦一本で、くにゃくにゃダウンチョークを繰り返しているような。