お盆の工場員

先ほどから拙宅では扇風機の羽が旋回し、部屋を仕切っているビニールのカーテンがそれに反応し、シャ•••、ジャ•••という無機質な物質が擦れあう音以外は何の音もしていない。

いや、それは嘘である。
冷蔵庫のラジエータからしているかすかなカリカリ音を、外のカラオケボックスから飛び出してくる若者の嘔吐への希求を訴える嗚咽音やら、お昼寝ならず深夜本気寝タクシーのアイドリングしているエンジン音などが耳朶を震わす。

いや、それも嘘である。
実際、それらは全く私の耳朶も震わせない。
ご多分に漏れず、それらは作者の創作、妄想なのである。

それはそうとしてである。
半年以上も更新していなかったこの工場員の記録を更新しようというのだから工場員のテンションはほぼフルマックスに高ぶっている。しかしながら、書く事がない。
何しろ(書く)モチベーションともなる工場員の工場員たるゆえんの報われない努力、日々積算される満たされないクリエイチビテーの残骸、つまりルサンチマンが軽減してしまった今、何をベースに物語ればよいものか。。。


気分を変える為に音楽をかけることにした。
BlurのModern Life Is Rubbish。1993年の作品だ。
その当時、私の周りではまだハイスタンダードなどのメロコアという音楽ジャンルが流行していた。

振り返ってみればそれより更にさかのぼること2年、1991年すでにNirvanaのNever Mindはリリースされており、1993年にはグランジの光があまねく行きわたっていたはずなのにも関わらず、私の耳のその名が轟くのは更に2年後の1996年のことだった。ことほど左様に90年代の田舎の高校生の世界というのは狭く浅いものであった。そうして当然このブラーの作品も知らなかった。

だが、いまは知っている。
1993年から随分と経ち、色々な辻を曲がり、坂を上ったり下ったりはしたが、いま僕はブラーを知っているし、その価値、というと言い過ぎだけど、すくなくとも当時の立ち位置やデーモンの狙いなどを読み解くことはある程度でるようになっている。

これが成長ということになるのかな。と無理矢理、エンディングに持っていったのであった。