ユウジ

俺が初めてユウジに会ったのは四ツ橋の近く喫茶店だった。
「音楽は在る。もうすでに俺の中にある。問題はどうやって連れ出すかなんだな」
茶店リトル・ジェームスでユウジはウィンナーコーヒーを飲みながらセブンスターをひっきりなしに吹かして音楽論を述べた。
「その音楽は深い山にこもっているんだよ。俺は彼を探して一人山道を歩いている。でもね、どこにいるかはわからないんだよ。彼がこの山のどこかにいることはわかっている。その存在はしっかりと感じているんだ。でも本当に正しい方向に向かっているのかまったくわからない。一歩一歩歩くたびに、こっちじゃなかったかも・・・なんて考えちまって。俺は不安になってくる。もう何時間たっただろうか。日も落ちてきてうす闇が森を支配し始める時間だ。霧はどんどんと濃くなっていって、気がつくと俺はあっという間に俺自身の姿を見失う。マコト、お前知ってるか?何も見えない環境にいると人は大声を出したくなってくるんだ。怖さと向かい合うことに耐えられなくなるんだな。耐え切れないプレッシャーの中で、俺は彼に呼びかける、彼をおびき出すために言葉を紡ぐんだ。彼はそれに答えてくるときもあるし沈黙したままというときもある。俺と彼が出会えたとき、それが俺の歌になる」
おまたせいたしました、と女の店員が持ってきたサンドイッチを両手に持って食むユウジは控えめに言って、よくしゃべるゴリラといった風体で、独特な甘い匂いをぷんぷんさせており、落ち窪んだ眼はぱっと見ギラギラしているのに、よく見ると目の奥は真っ暗で、それは言うまでも泣く典型的なジャンキーのそれだった。弁明させてもらうと、俺は別にジャンキーだろうが、クリーンだろうが、酔っ払いだろうが、鬱病だろうが、黒人だろうが、別に気にしない。いいんだぜの精神だ。
「本当の音楽ってのは、心の中の景色の共有なんだよ。そんな能力は誰もが持っているわけじゃない。誰もが持っているわけじゃない。誰もが・・・」
詠嘆するように吐き出すと、ユウジは革ジャンの内ポケットからサングラスを取り出し、天井を向きながらそれをかけた。驚くべきことに、彼は自分の言葉に感動して、涙していたのだった。そしてほき出すように言った。「選ばれてあることの恍惚と不安二つ我にあるんだなあ。だって俺天才だもの」
 
俺はこの男に会うことにしたのを心底後悔するとともに、彼の音楽が死ぬほど聞きたくなった。『俺はCreep(気持ち悪いやつ)だ』と絶叫してみせるからこそロックなのであって、本当にうじうじとしながら小声で歌ったりしたら殴られたに違いない。売れる前から『今夜俺はロックンロールスターなんだよ』と宣言する気持ちそのものがロックだからだ。
しかし実際そんなやつが目の前にいた場合、とんでもなく鼻持ちならないくそやろーであること多く、人の話しをほとんど聞かず一方的に自画自賛を繰り返すユウジはまったく気が滅入る存在そのものだった。服を着たトラブル、意志を持った厄災。
 
2時間ほど前、家で足のつめを切りながらアイスコーヒーを飲んでいると携帯が鳴った。知らない番号だったが出てみた。そのころ俺は毎晩のようにいろいろな女と寝ていて、電話番号なんていちいち登録してないものだから、わたし、わかる?わすれたの?みたいな電話がしょっちゅうかかってきていた。毎日のトーストのやけぐあいなんて覚えてないし、そもそも何枚のパンを食べたのか数えているやつなんているのか?
はからずもそれは男の声で、そいつはユウジと名乗り、来月対バンで一緒になるからちょっと話が聞きたいと言うのだった。
俺はそのころから大阪に見切りをつけようとしていたから、正直だるいな、思っていた。ぶっちしたい。いつものようにあ、あの、あ、で、でん、でんぱ、といって切ろうかいう気持ちもちらと浮かんだが結局はジーンズに脚を通して、Tシャツにジャケットを羽織って自転車に乗った。それはユウジの声のせいだった。ジェフ・バックリーみたいなビブラートの聞いた声で、聞いているだけでこみ上げてくるものがあった。こんな不思議な声したやつはどんな風体なんだろう?俺はけっこう急いでチャリを漕いだのだった。