猛暑

千代田区にある当工場の11時の気温は39度だった。首にまいたタオルが汗で2倍ほどの重みになっている。ためしに絞ってみると、冗談ではない、ばちゃばちゃと音をたてて床に黒いしみをつくった。
工場全体の空気は重々しく、人はもちろん、機械も物もスローモーションで動いているように見えた。天井に設置された扇風機さえも、最弱みたいなスピードで回っているのか、ちっとも涼しい風を送ってこない。

あと少しで昼休憩というところで、糸こんにゃくの型押し機のハンドルを形成していた板金工の坂田が、ヘルメットを茂木班長に向かって投げつけると、「やってらんねえ」とつぶやいて工場を去った。

報告をうけた工場長の俺が「ええ~マジでぇ」と現状を嘆いていたところ、品質管理マネージャーを勤めている阿部が自動ドアのセンサーテストをやっているラインの傍で倒れたという報告をうけた。急いで現場にかけつけると、腕をおかしな方向に曲げて、震えていた。
熱中症だ」茂木が阿部のめがねをはずしている。すぐに救急車を呼ぶように指示を出す。

救急車を待っていると、オフィス机の脚の先につける緩衝材を籠に入れる仕事をしていた永田が奇怪な声を上げながら、籠の中身を撒き始めた。先のラインで緩衝材を整頓して発送する作業をしている佐々木がそれを止めようと永田を捕まえたところ、毎日10キロのウォーキングで鍛えた永田が強靭な足腰でもって佐々木を振り払い、そして腰を入れた平手で佐々木を打擲する。
それを止めようとしたサランラップの芯を作る担当の藤井と田中だったが、どちらが永田を止めるかで口論を始め、「おれはやだよ」「そっちが年上だろ」「こういうのに年上とかないんだよ。お前のほうがたっぱがあるし、元野球部だろ」「そんなことしらねえよ。野球とどういう関係があるんだよ」「いつもそれだよ。お前はいやな仕事はなんのかんの理由をつけて俺にやらせようとする。おれもギザギザをつける仕事させろよ」「あれはテクがいるんだよ」などと、やがてそれは普段のオペレーションの不満へとおよび、ほどなく今度は藤井と田中が殴り合いをはじめ、それをみた佐々木と永田が二人をとめる仕儀と相成った。

そこへ救急車が到着した。正確にはみていない。サイレンの音が近づいてきて止まったのだ。
しかし待てども誰も来ない。藤井は高校野球でならした田中の豪腕から放たれる右フックをしこたまに食らって、左まぶたが完全にふさがり、鼻がひん曲がっている。すでに意識を失っており本来であればとうに倒れているところだったが、足腰が非常に丈夫な永田が藤井を支える形になっていて、佐々木は田中を抑えられないものだから、藤井はサンドバッグ状態になっていた。俺はその姿が見えていたが、目の前の阿部が泡を吹き始めたものだから、こちらの声かけに集中するため、見て見ぬふりを決め込んだ。

阿部が小刻みな痙攣を続け、失禁したのをしおに立ち上がり、介護を茂木に任せて、工場の門扉に通じる一番大きなシャッターをあけたところ、果たして救急車は止まっていたが、人だかりができている。
近寄ってみると、救命士2人が大声を出して右往左往している。後輪に下に見覚えのある顔が血まみれで横たわっていた。さきほどキレて出て行った坂田だった。

そんなわけで、たいへんな一日だった。