工場員
「おはようさん」トイレへ向かう途中男が洗面所に立っていた。鼻歌を歌いながら歯を磨き、そして左手一本でネクタイを締めていた。 その姿を見ただけで尿意が一気に不快感に変わった。 「おはよう」そそくさと返事をしてトイレに入って鍵を閉めた。ドア越し…
肩に触れられたときにはもう嫌いになっていた。 朝、彼は私より10分早く起きる。10分後、手元にある私がセットしたアラームが鳴る。私は、これが鳴るまではいつまで寝ていてもよいのだ、と考えるようにしているから、ときどきその間の10分が何時間にも…
まずおれは煙草を買いにでかけたんだった。5月1日になったばかりのコンビニに着くと、見る気もないのに雑誌のコーナーに足が延びてしまった。だって、まるで拉致監禁されてるみたいに包れて縛られて床に転がされている雑誌にはさ、可能性のオーラ―がゆらゆ…
なぜ、そんなことになっちまったのか。俺にも理解はできなかった。こうもあっさりと首吊り一つで、本をよんだり、映画に行ったり、胃が輝きだすくらい美味しいフランス料理を味わったりだとか、そうしたことができなくなってしまうだなんて。控え目に生えて…
「十九歳や二十歳で、よほどの天才でもない限り、小説って書けないんだよ。例えば十年以上、肉体労働してるとか、なんだかんだで最低底の人をたくさん見てないと、ちゃんとした小説は書けないよ」 第百三十回の芥川賞(金原ひとみ・綿矢りさ)の受賞に対して…
ある工員にとって、 通勤電車は激しい苦痛を齎す、 厄災の詰まった玩具箱みたいなものであった。 伴う苦痛の激しさたるや、 僅か10分の間で工員の顔を別人のそれに代えてしまうのである。 額から流れ落ちる夥しい量の汗が冬場にも関わらず工員の肌色のワーク…
もう一年も前から工員はある資格試験の勉強をしている。 分厚いテキストを2冊買い、工場が主催する勉強会にも参加した。 しかしその資格を工員はまだとれずにいる。工場の仲間は元より、細君にさえ、「いつとる気なのよ」と詰め寄られたりしている。 工員は…
別にどうということでもないが工場にいっても誰もいないのでしかたがないから部屋で工員は寝転がりながらテレビを見ていると知った顔が目に入って、あれこれはひょっとしたら、などど久しく使っていない脳みそを使ったものだから突発的に強烈な頭痛が襲って…
隣のラインで働いてる仲良し(たぶん)二人組の若者が、食堂にできる長蛇の列で、いつも俺の前に並んでいる。食べ終わるのも同じ頃で、帰りのエレベーターでも大抵は一緒になる。 お互いに存在は確認しているのに、絶対的に話しかけたくないのは、別に深い理…
本日訳あって外泊。 セカンドハウス(なんて立派なものじゃないですが)の近くで夕食す。 一品一品が小憎い店。といっても、焼き鳥屋さん。 8人座れば満員のカウンターで、紙のおしぼりでは、もちろんない。 えらい寒かったのでいきなり熱燗。 出てきた突き…
月曜日に起きると、もう金曜のよるのことを考えている。 17:45、チャイムが鳴って、各々が手袋や帽子を外して、タオルで首元を拭ったり、煙草に火を点けたりしている。そこに漂う空気は、青い靄がかかっていてどういうわけか人々の心が少し和らいでいたりす…
単純労働とはいえ休息は必要だ。 いったんラインから離れてみたものの、目の前の景色と手の感覚はそう簡単に戻らない。 3時間も同じラインに立ちっぱなしだったのだ。 タバコルームの小さくて軋むドアを開けると紫煙の霞、(誇張ではない)の中に知った顔を…
しまった。寝坊だ。どうしよう。 工場のある駅まで出ると始業まであと20分しかないのに、そば食いたいな、と思ってしまった。 そしてそれを実行してしまうと時間はもう5分しか残されていない。 バスに乗って、10分で着いて、9階まで混みこみのエレベーターで…
午前中の仕事が終わると、油と埃が入り混じりオレンジ色になっている手を洗う。 地下一階にある食堂のいつもの席に座り、何に従い従うべきか考えていた。 「金か、それとも人間か」 またいつもの問答だった。 チャイムが鳴り、午後が始まった。
文筆業ではないのか? いや、サラリーマンだけど、あんたの場合は、文筆業でしょ。 クレームだ。不穏な空気。鶏を冗談でも犯せない状況。確執。保身。事後収拾。羊探しが始まり… 脳。尿。 俺は否定する。 ある新潟に送ったメール 「ここだけの話、みんな冷た…
犬の糞である。 しばらく歩くとまた。二連続。 二人の老婆近づいて。杖。セロテープで名前が貼られていて。そういえばスーツに名前が。 アイスクリーム屋の軒先に集う。3つも4つも食べるのだ。 なんかこう虚しいのである。淋しいのである。 だから?
工員は、原則的に、仕事を休まない。 そんなことをすれば他のラインとの調整が取れなくなるため工場の稼働率が下がるからだ。 しかし実際には、そんなことは起こらない。 工場は仮に工員が休んだとしても稼働率を下げることはないからだ。 つまり、誰かがそ…
工員が住んでいる寮にはバスタブが二つある。 仕事が早く引けた日の工員たちのたいていの楽しみは、飲酒と入浴である。といっても飲酒派は帰宅が遅くなるので、この工員(早く帰ってきた)さっそく湯船に湯を張りはじめると、右足でゆっくり浴槽をまたいだ。…
さいきん食事時に「いただきます」と口では言っているけれども、心から思っていない。感謝という気持ちがあまり起きない。 「ちょうし乗ってんじゃないの?」 「そうかもしれない」 改めたときにはもう遅かった。携帯が壊れてしまったのである。 これは控え…
もちろん週末は休みである、という工員もいる。 だからこそそこに発生した仕事を片付ける工員も発生する。 つまり、工員に休みはない。
人間が、そのありのままの姿を批評する姿ほど、滑稽なものはない。違うだろうか、否? よく人は言う、その上でさあ~、なんて。副詞的に。 「え、どの上?」とかね、聞きたいのを、拙者はガマンしてですなあ、いるのですよ。そう。偉そうにさ。 はあ・・・。…
工員は、単数名詞ではない。 工員は自分を呼ぶときでも、我々、という。 工員は、単数名詞ではない。 工員は自分を呼ぶときでも、我々、という。
我々のパーツのもっと細かい部分を担当しているのが女子部である。 彼女らの勤める別棟では、いつもラジオが流れているという。
体が丈夫で、単純労働に慣らされた工員たちにも、本当の苦しみの時が。というのは午後2時だ。
学校で流れていたのと同じチャイムが流れる。 午はんを食べに工員は外へ出ます。 薄暗い建物から出て、マスクを外し、大きく伸びをして、空気に漂う食事の香りを吸い込み、 ある工員は煙草の火をつけ、またある工員は缶コーヒーのプルトップを空けて、またあ…
流れてきたのは鉄の何か。 これだけでは何か判別できない。 青く塗られた鉄のフレーム。大きな魚の顎の骨が、今、目の前まで来た。
「当工場では、あらゆるものを作っている、と言ってしまってよいかもしれません」 「そして同時に」 「そして同時に、この世の何も作っていない、と言うこともできます」 「当工場では」 「当工場では・・・・」
「こんにちは。 今日は皆さんに『工場』について話をしたいと思います。 突然ですが皆さんは工場と聞いて何を思い浮かべますか?」 ざわざわ、ざわざわ。 パン?ロボット。いや、車、船! 「そうです。 この世には様々な工場があります。 食品、機械、乗り物…