夢見る女は夢見ない女より幸せか ②

「おはようさん」トイレへ向かう途中男が洗面所に立っていた。鼻歌を歌いながら歯を磨き、そして左手一本でネクタイを締めていた。 その姿を見ただけで尿意が一気に不快感に変わった。 「おはよう」そそくさと返事をしてトイレに入って鍵を閉めた。ドア越しにまだ聞こえてくる。 最近ギターで練習しているあの曲だ。 私は会社でやるときのようにとりあえず水を流してから便器に腰かけた。そして溜息。くそ、切れが悪い。

 男性の場合、成人で10数 cmの長さがあり、細い。一方、女性は太く、長さは3 - 4 cmと、男性よりもかなり短い。 ------尿道の話だ。 そうして短いものだから少し我慢するとすぐに尿道炎にかかる。尿道炎をなめてかかるととんでもないことになることもあるそうだ。たしかにチクリチクリとするくらいなら恐れるほどの症状ではない。

おそらく母の胎内にいたころ、もう29年も前になるが、深刻な資源不足から、60%オフくらいでなんとか形作っちゃおう、という軽いノリで着工してしまい、結果完成したのが私だった(と思われる)。余分に備わっていると有形無形の得を与えてくれるバストであるとか、ヒップであるとか、ふっくらしていたほうが世の中を泳ぎやすくなるファンクションがすべて60%オフ。 この事実に気がついたときに多少は凹んだが、何より私を現実的に廃人に向かわせるのが、常人外れた頻尿とコンビを組んだ凶器のような尿道炎である。 地下鉄を一駅我慢していたら、降りるころには子宮にハリセンボンを突っ込まれたような「澁澤 龍彦的痛さ」で、息をすることもできず、でも電車は降りなきゃならないし、親切な東京メトロのお兄様方に車いすを出してもらいようよう下ろしていただいたことも2度や3度ではない。 東京に出てきてからの10年、月に一回はやってしまうのだ。 辛いやろ?


別に我慢していたわけじゃないが、小型のハリセンボンがそこにはいた。私はトイレを出ると、ラムネみたいに分厚い頭痛薬をパキパキとパッケージから出すと、コップに水を注いで飲みほした。
「また頭痛薬飲んでんの? 地獄のスメルになるよ」男は半笑いでそう言った。男はスーツ姿に着替えていた。買った時はそれほどでもなかったが、形が崩れてきていてかなりみすぼらしく見える。酒の飲みすぎでむくんだ顔、剃り残した無精ひげ、脂で汚れた歯、変な歩き方。 男が使ったコップがどれなのか、逐次確認してしまう。同じコップを使いたくないのだ。
「ねえ、そのムーミンカップ、妹が誕生日でくれたやつだから大切に使って」
「ああ、かわいいね、これ」男は私がそのことをほめてほしいと考えたか、おべっかを使う。あまつさえくるくると角度を変えてみたりしている。
「ね、そうでしょ。 私それ使いたいなあ。いいでしょ?」
「ああ、別にいいよ」男は大した関心もないと見えて、棚から別のマグを出してコーヒーの準備をした。

男がいれたコーヒーを飲む間、私たちは隣り合ってテレビをみて、昨日あった事件や今日のこれからの天気の話を少しする。もっぱら話すのは男で、今の政治についての文句や予言めいたことを言ったりする。大して知らねえくせによ、と私が思っているもしらずに。それから今日の天気は?と3回は聞いてくる。最近私はこいつは本当は記憶障害か何かで実は自分のことすらよく覚えていない生き物、そう「千と千尋」に出てきていた顔なしみたいな男なんじゃないかと思い始めていて、ぞっとすることがある。