実家に帰った工場員

4ヶ月ぶりに実家に帰った工場員の目にしたのは泥酔した両親だった。
深く眉根に皺を寄せた父親は開口一番「お前らが帰ってくるとマイナスなことばかりだ」と、酔った勢いなのか、本音なのかそういった。思い当たる節がないでもない工場員は絶句した。
そうかそうか、そうなのか。
無頼で鳴らした彼とて、今は年収300万もない、65歳の弱き民である。貯金を食いつぶしながら、金にならない居酒屋を経営し、安酒を煽っては気絶するように眠る、その道に出口はなく、もうまもなく限界を迎える健康を胡麻や生姜など、東洋医学の律の則りなんとか先延ばしにして生きている、無力な人間の一人である。
年老いた両親の面倒を見る孝行息子。そんな甘いビジョンを抱けるような育て方をしていないにも関わらず、自分の体力・財力が衰えるのみのその身の上からか、そんなことを口走ったのだ。
ただ、自分は工場員である。そんな甲斐性はなく、自分のことで精一杯である上、その赤茶けたサルのような男の面倒なぞ、微塵も見たくはない。
そんな風に思った工場員は黙った。
しかし黙っていると付け上がるのが酔っ払いというもので、それからは自嘲気味に自らの没落と嘆いたり、お前がいなかったら俺は不幸せだった、と散々迷惑の限りを尽くし、家事育児を全く放擲し、金のあるころにはフィリピンに女を買いに行ったりした男が今では母親に傅き、その身の不遇を分かつパートナーに阿り、くどくどを意味のないことを口走っている。
テレビジョンから流れてくる情緒たっぷりの野球結果や主婦が家族と口論になり2歳の赤子を2階から放り投げるといったセンセーショナルな事件の報道と、鮮やかなコントラストなした居間の汚泥のような空間で、出口の見えない酔っ払いの繰言が続く。

嗚呼、と工場員は心の中で叫んだ。
もしこれで俺に金があったらこいつはどんな態度で臨むのだろうか?
125円の発泡酒に焼酎を混ぜて、煙突のように煙草を吹かし、どんなに読んだところでなんら無意味な雑学書を漁り、いい気なっているこの哀れな男はいったいどんなことをいうのだろうか。
阿諛追従を繰り返す、阿諛追従マシーンになるのである。

工場員は、さすがに少し悲しくなった。
家族というものですら、そうか。そんなものは世間だけでたくさんである。しかしながら頭の片隅で、家族とて世間ではないか、という思いもあり、工場員はゴールデンウィーク明けからの仕事と、ここでのこととの区別が全くつかなくなって、苦しくなってきた。

もう寝よう、と工場員は泥酔した二人の居なくなった居間で呟いた。