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地表には音楽が溢れすぎていている。情報も多すぎる。 目の前にそびえたつペンシル型のビルにもそこかしこに広告が貼ってあり、そのどれも商品を直接売るのではなく、つまりリンゴ屋さんが広告主で、リンゴのけってくれ、と頼んだって、本当にそれがその思いが形として現れるためには、種々様々な手続き経て、それでも下手すりゃうまくいかないってことだって往々にあるのだ。

つまり意思を表層に表すには、それが言葉に出す、といった自己完結的行為であらない限りは、大変面倒くさいし、何よりも金と時間がかかる。金さえあれば東京ドームで一人コンサートというのだって可能なわけだが、それをやる人は、いなくはないが、極少。何が言いたいのかというと、冒頭でいったような感慨を形にして外へ影響力大きく思いを発信するのは容易ではない、ということ。

放っておけば、その面倒くさい手法をソフィストケーとさせた広告代理店やらマスメディア、出版業界なんかの方々が日々の糊口をしのぐために大して熱心でもなく、あるまで前任者のルーティンで引き継ぎ業務をさらに簡素化し、お、おれたちって仕事できるよね?とかなんとか言いながら、手抜き仕事で町はどんどんと思いとは遠い方向で作成された広告で溢れていく。見たくもないブラジャーの展示会(不要ブラの改修します!)みたいな、広告が電車のつり革でぶらぶら揺れている。




ああ、おれはこの世界を何とかしたいと”思って”いた。