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「被告人、布原くん」
ええー、って思った。マジかよ、って思った。







(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)






今から俺は、俺がぶっ殺されるまでの話をしようと思うんだけど、
それってどっかおかしい?

俺がいましゃべってるってことは、俺がまだ生きてないとおかしい。違う?
俺の知ってるヤツで交通事故で死んじまったヤツが一人いるんだけど、
あれ以来あいつとしゃべったこともないし、街の中ですれ違ったこともないし、
同窓会に顔を出すわけでもないし。

つまり、あいつは完全に、カンペキに、きっちりと、死んでるってこと。
どんなくだらねえやつでも、生きてるやつしか話しはできねえってわけ。

そいう意味でいえば、小説ってのは便利だよな。死んだやつも生きてるやつも、どんだけでも
話しができる。しゃべりたいだけしゃべらせて、勝手にテキト―なところで終わらせる死なせることもできる。
夏目漱石川端康成三島由紀夫村上春樹とか、伊坂とか花村とか国語の教科書とかにのってる
人からのってない人も色々いるんだけど、ちょっと読んでみたらすぐにわかる、「こいつら、まともじゃねえ・・・」と。
オニイサン、ヨッパライダケヨ、ってフィリピン系の日本語でつっこみいれたくなる局面ばっかり。猫がしゃべったり、おっさんが田舎のホテトルにマジぼれされて悩むとか、京都の有名な寺がそこで働いているドキュソ(元ニート)に燃やされちゃうとか、奥さんに捨てられた男が野球のバットを手に井戸に籠る話だとか(こうして書いて見ると、彼らがなんかやばいモン食ってないとしたら、そのなんかやばいモンって今言われてるモンがあんましやばくないんじゃないかって)。

まあ、そんな妄想ばっかりなんだけど、じっさいにみんなの周りの人はどうかな?
他人の話はうわの空で聞くし、花は桜だけでけっこうまにあってるし、誰かの妄想とか
モーホーとか田舎とか、もはやそんなことに時間さくのアホらしく、自分のことで精いっぱい。
だから自分は周りの人に愛されないんだ、孤独なんだ、睡眠薬とかないと眠れないんだ、
って原因に気づいてもそこは素通り、やっぱ毎日が楽しいことが一番だよね?

その通り。毎日が一番なのが何より大切なことですよ。
ただそのことで自分がヌっ殺されない間は。