フィリップ・マーロウの世界観と存在の耐えがたきサルサ

最近、特にこれという理由もなくレイモンド・チャンドラーの小説をよく読む。
たまたま近所のBOOK OFFで100円で購入できる機会に幾度か恵まれたことがきっかけだけれど、
実際に触れてみるといわゆる探偵物やハードボイルドがこの作家を端に発していることが
よくわかる。
北方さんや大沢さんなんかもマーロウの発する脂臭さやウィスキーの残り香に、芯からやられてしまった人たちの一人なんだと思う。


そんなわけで先日は「3つ数えろ(原題:大いなる眠り)」をレンタルビデオ屋で探してみて見たのだけど、原作にも感じられる「スカスカ感」はいい意味でも悪い意味でも原作の雰囲気をよく伝えていた。

そもそもハード・ボイルド的な視点とはコンプレックスに深く根ざしている。
誰もがマーロウみたいに、金髪美女を一目ぼれさせるほど美男でダンディーではないからこそ
あの世界は成り立っているからだ。
欲望の投影としてのキャラクター。

別の折に「存在の耐えがたきサルサ」(村上龍)を読む機会があって、その中で同著者の「5分後の世界」の世界観の構築過程を興味深く読んだ。
「主人公が動きやすい世界観の構築」と村上氏は言っていたが、現実的な創作の過程とは、そういった現実的なフロンティアスピリットと地道な努力の賜物なのかもしれない、と強く思わされた。

考えてみるとレイモンドにしても村上氏にしても、フィリップや小田桐が動きやすいように
周りをセッティングすることを念頭において、小説世界を書き進めている。

一つの切れ端から次の世界へ飛ぶにあたって、著者はすでに彼らが歩くであろう町並みや、飲み食いするであろうレストラン、性生活を行うであろうしわくちゃのベッドのシーツの痛み具合までも、計算に入れて、その世界の端をジリジリと広げている。

僕らがそこに立つ前にすでにそれらはきちんと舗装され、統制されて、主人公が到着する頃には、一つの秩序さえ生み出されているように思う。現アメリカのと寸分違わない道路標識や純然たるアル中の警官崩れとして、それらは小説世界で機能し、酒臭い息を吐き、主人公に喧嘩を吹っかける(絶対に勝てないのだが)。。。

ただここで考えなくてはならないのは、まじりっけなしの「コンプレックス」から登場した主人公たちが、いったいどうやって「コンプレックス」を基盤にした世界でハード・ボイルド(卵の固ゆで)風に、生活していけるのか、ということだ。

世界のつまはじき者として、仮想空間に立ったマーロウが、どのようにして犯人を逮捕できるのか?
いったいどうしたら、ハード・ボイルド風に収束へと向かえるのだろうか?

そこのところの思考過程が、ボクにはまだないみたい。