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この話はカウチポテツの何たるかを語るともに、どうしてあんな素晴らしい女、エイミーと俺が別れるはめになったのかを検証したい。

最初に断っておくと、俺は決して悲観主義者ではない。

むしろたいていのカウチポテツは(多少の)悲観的傾向がある、根っからの楽観主義者だ。

悩みなどまったくない無防備な青年期に、「将来」という漠然とした悩みを抱え始めた、後天的悲観主義者 ―――― それがカウチ的マインド。

現代風に言えば、トラウマが引き起こした化学変化が、カウチたちを増産するきっかけとなった。

カウチの特徴はというと、まず漠然とした巨大な夢を持ち、都会へ移り住むことから始まる。

人口密度が濃い土地で、コンプレックスやら協調やら協和やら、個性やらコンプライアンス、支持政党、教育方針、遺伝子組み換え、インド、テロ、などのエスプレッソを飲み込んで行くうちに自分を見失い、結果として、当初いだいた夢とは関係のないことをやっている時間が長くなり、世間に埋没しようかどうか、本気で悩んでいる。

カウチは詩人を目指していたとしても、いい加減な言葉ばかり使い、ミュージシャンを目指していれば、女に入れ込んで同棲してみたり、映画監督を目指すカウチは、サラリーマンでお茶を濁していたりする(映画関連会社だが)。

あらゆる話題に噛み付き、生活、しがらみでグチャグチャになりながら奪われた時間の中で、夢を具体化する‘最小限’の努力をする。

人はカウチのことを、あるいは、不器用、と表現するかもしれない。

エヌオーエヌオー

カウチは、刹那と持続の狭間でゆらゆらと揺れている、どっちつかずの大馬鹿野郎だ。