★1209

ヒロユキが急性白血病に罹っていると知ったときエミリーは日本語で掛け算九九ができるようになっていた。
「ににんがし、にさんがろく、によ・・しが・・・」
「ふふふ、はち」

こんな感じで死んだそうだったが、前後の詳細は長すぎるので省略する。要するに、死んだ。完全に、確実に、死んだ。

「あの曲、『as time goes by』。主人の葬式で流れてたのよ」エミリーの緑の瞳がゆらゆらと揺れて、涙がこぼれる。俺は無性に煙草が吸いたくなって、2年続いていた禁煙の戒めを解くこととなった。
俺がエミリーの中南海を口にくわえると、エミリーは何も言わず火を点けてくれた。

俺は、ボギー的信条にもとることを理由に、この哀れな未亡人エミリーを抱くことを避けた。
そりゃ、煙草は、この世のものとは思えないひどい味だったけど、実際のところ、エミリーは俺が付き合ったどの女よりもずっと、ずっといい女だった。

俺は禁煙は続け、毎週金曜日、車を飛ばしてエミリーと話すようになった。