第六章 羊の両親の分断

日本旅行管理協会に属する全国1万2千軒の旅館経営者達にアンケートを取った結果、彼らのうちの87パーセントは「朝」とは午前3時から10時までを指す、ということが2005年5月の朝日新聞の調査で分かった。これは日本旅行管理協会の発足が、伊豆の元漁師が経営する旅館同士の組合だったいうことと無関係ではない。つまり加盟旅館の多くが海辺の旅館経営者なのだ。彼らの殆どの顧客は釣り人で、朝釣に対応するため、否応なく早起きであらねばならなかった。
そして午前3時という数字に、東京郊外に自宅を所有する都内勤務のサラリーマン達の7割が「大変早いと感じる」ことが(これも朝日新聞の調査で)判った。まぁ、至極当然の話だろう。

この統計学的数字の信憑性がいかほどのものかは各々の価値判断に委ねるとして、羊の両親にとって、昼の12時と夜の12時の違いは、色違いのユニクロTシャツみたいなものだった。白か黒か、そんな程度。
羊の家が営む旅館が、日本旅行管理協会に属していないことはもちろん、登るべき山や記憶に残るほどきれいな景観は、この街には、まあ当たり前に、ない。羊の街では、誰も新聞配達の人よりも早く起きたりはしない。だが羊の父は統計どおり早朝3時とまでは行かないものの、結構な早起きで、新聞配達の男が来ると同時に必ず目を覚ました。しかしそれは羊の父が新聞配達の人と「ああ、どうもおはようございます」「そうですね、まだ冷えますけど、梅も咲いてきましたしね」「ほら、お隣さん」「ああ、桜が咲いてますね!」「今年も春が来たよ」「ああ、忘れていた、どうぞ新聞です」「いつもごくろーさん」
なんて特別親しそうな日常会話を繰り広げる為ではなく、ただ単に羊の父は早寝早起きが唯一の徳と呼べるような男なだけだ。

羊の父は(春は特に)あり得ない時間に寝ている。彼の昼寝と太陽の位置にはあまり深い相互関係がない。季節すら関係ないんだ、と羊は女の子に話した。

「本当に退屈な仕事だよ。夕方18時に起きてきたりするんだぜ。モアイどころの騒ぎじゃない。何十年も、こんにゃくみたいな顔して親父は仕事をしていたんだ」軽蔑しきった様子で羊は言うと、女の子のセーラー服の上着を床から拾い上げた。
「そう」女の子は羊の手からそれを受け取りながら言った。
「ところでモアイって意味を知ってる?」
「さぁ?」
「“夢に生きる”って意味なんだよ」調子に乗って薀蓄を披露した羊は、これまた調子に乗って思い切り煙草を吸い込んだ為、強く咳き込んだ。煙草なんて格好つけて吸ってはみたものの、ただ苦しくなるだけだった。
「げほ・・・、と、とにかく、この呪われた作業を子から孫へって継いでいくことが果たして正しいことなのか、そしてそれに参加することがボクにとってどれほど重要なことなのか、全くわからないんだ」
女の子は黒いセーラー服に袖を通し、脇の下のチャックを小気味よい音をさせ一気に下ろした。そして乱れた髪の毛を手でかき集めて、また一つに縛った。
結局、女の子はそのことについては一言も語らず、唐突に最近観た映画の話を始めた。

                   

                      ★27歳の羊の日記★
2005年4月23日

今にして思えば、あの時の彼女の沈黙は、ある答えを十全に示してしていたように思う。それはあの時代の人間が他人に対してできるアドバイスの許容範囲を示したもので、その範囲は確実に狭まり、家族ですら私生活には触れない、というスタンスが彼らの世代の共通認識であった。
ポストや電柱だって、電話の音やバスの色だって、あらゆるものが互いに干渉し合わないことが、最大の美徳になりつつあった時代。それが21世紀の始まりだった。いくら身体の関係を持ったからといって、他人の家族の問題に首を突っ込むんなんて、考えられないことだった。
その美徳が複雑に絡み合い、結果として家族をあんな形で分断してしまうとは、14歳のボクにわかるはずはなかった。そして家族がすれ違った瞬間の父の言葉が「概ね珈琲」だったのだけれども、以来、珈琲を見るたびにボクはこう思う。伴侶ですら所詮は他人なのだ、と。



※ 筆者注 

■ どうやら羊は27歳になってもあの時のことを完全に誤解している。彼女はセックスした後、子供を作る意味がないと羊が言うのを聞いて、それにむっとして黙っていたのだ。なんてデリカシーに欠ける羊なのだろうか、と。