第二十二話

 だ、らんだんだだあ~。
 だ、らんだんだだあ~。
ほー!

妻は、家でカラオケを歌っていた。
私は、冷蔵庫まで行き、荷物をその前に置いて、久し振りに冷蔵庫を開けると、メロン、桃、セロリ、生ハム、チーズやソシソンとかに交じって、カツオ、いくら、ウニ、なんてのもあって、飲料のタナには、ドンペリニョンが。
「こっちにポメリーもあるよ」そう言ってにっこり笑うとブルーの瓶をアイスペールから出して見せた。

「ずいぶん、探したんだぞ」
我々は差しあたって、疲れていることを主たる理由として、ピザを注文すると、それが届くまでの間、ゲームやカラオケに興じた。 実に一年ぶりのことだった。

「ずいぶん、探したんだぞ」
「聞いたわよ、いろんなところであなたの名前をね」
「こっちこそだよ。ヒントをばらまいて、ミスリードする。初歩的な探偵術だ」
レイモンド・チャンドラーが聞いたら頭ぶち抜かれるわよ?」
「・・・・」

妻の毒舌は相変わらずだったが、彼女は去年よりも輝いて見えた気がした。相変わらず右足の親指は爪水虫に罹ったままで真っ黒かった。つまり磨かれた部分とそうでない部分が奇妙に交わっている、妻らしい、そんな顔つきだった。ずっと前から、つまり400日より前から、私は彼女のそんな姿を知っていた。見ていた。
「どうしたの?酔っぱらったの?」彼女はウーロン茶を飲みながら、将棋の駒を一つ動かした。香車を三枡進めただけだったが、将棋盤の上にはこの局一番の衝撃が走った。

テレビの電源を入れて、だいぶ時間が経った。
昔妻が一緒に仕事をしていた音楽プロデューサーが「Jポップミュージックの趨勢」について長く語っていた。私たちは、自分が消費される側にあることに気が付いていない、とその男は熱っぽく語っていた。
「今の世の中は一見すると広告屋が作っているように見えるけどもね、実は音楽なんですよ。音。胎動。あがらうことのできない環境の問題です。 目に見えるものを追いかけるとどうしてもね、こう、想像力が鈍るわけですよ。視覚的なものを信用しすぎてしまうんですね。金とか宝石とか。 いや、もちろん私はお耳のご不自由な方があまりよく物が見えない方よりも劣っているとか、そんな議論をするつもりはないんです。ただ、音というのは、ベートーベンが大変良い例ですが、肌で感じる音というのが、思いのほかインパクトの大部分を占めるものでして。感覚というのは、精神を支配することができるからこそ、それが一瞬だとしても、万能感の響きをその根底に抱えているのではないでしょうか?」

私たちは黙ってチャンネルを変えずにそのままその番組を見るともなく、朝まで見てしまった。空が青から白に変わっていく、例の時間だ。