どこまで行ったら気が済むのだろう

去年、ユダヤ投資銀行を”卒業”した私は、広尾にあるお気に入りにレストランの近くに事務所を構えた。青色のオウムを受付に据え付けて、籠の脇に棕櫚の木を二本おいて、窓ガラスは知り合いの職人に頼んでステンドグラスに代えてもらった。 部屋の真ん中には人が一人寝ころべるくらいの広さの白檀の机を置いて、イタリアで買ってきたガレの光をともすと部屋中が飴色に染まる。
木枠の窓を開け放つと私は電子計算機に火を入れて、通勤途中に買ってきた珈琲の蓋を開けた。壁に掛けてあるドイツ製のデジタル時計は17時を指していた。
不意に電話が鳴った。友人のMからだった。
「おはよう」
ああ、おはよう。と私は答えたのだが、引出しからブランデーの瓶を取り出し、珈琲に垂らしていた。
「今日のパーティーは行くのかい?」Mは訊いた。
「なるべくなら出ようと思っているが」
「また、仕事か?」
「今日片づけなくちゃならない話が二つばかしあるんだよ」
「二つあれば電話が終わった後には四つになってるな」
「全くだ」
実際的な話をすれば、Mとはビジネスパートナーであり、競合相手でもあるわけで、私は大人な選択を迫られることとなった。
「これから、まず、ダイヤの方に取り組むよ、時間ができたらパルプの方もやるってことで」
Mは少しだけ考えるように沈黙すると、パルプはもうダメだから手を切れ、と言った。 今の際でパルプとはおまえさん、どれだけおめでたいマザーふぁっかーなんだよ。
厳しいといっても差支えのない言辞が飛び交い、私は上着を着ると事務所の扉を閉めて、タクシーをつかまえるために広い通りまで歩いた。
「お客さん、どこまで?」
「ラジオを切ってくれ」
「・・・・え、どこですか」
「だから、ラジオを切ってくれ」
「渋谷の?」
「中目黒だよ」
「わかりました」