「仕事柄、色々な国の人間と知り合う」
 大親父は言った。
 大親父は「貿易商人」という華僑系企業の重役を任されていて、当人に言わせれば、仕事柄、色々な国人々と知り合った、ということだ。
 「我々は、なんでも送るし、なんでも受け取る。どこのどんなものでも、どうにかして手に入れて、欲しい人に送り届ける。実に簡単なビジネスだ」
 小さな労を惜しんではいかんよ、と大親父は繰り返す。 どんな小さな労でもだ。 大は小をかねるというが、ありゃ間違いだ。 どんな大も小が集まって、初めて大になれるんだ。 取り違えちゃいかん。
 俺は、「それは意味が違うのではありませんか、大親父」と、言ってしまった。 「あのことわざの意味は」と言いかけたところで、大親父が明らかに気分を害しているのを見て、急いで目の前にある鯛や平目の刺身で口を塞いだ。
 

「とにかくね、実に簡単なんだ。 シンプルイズザベストさ」 大親父は、空気にたまった埃を払うみたいに、ひらひらと手を揺らせた。 畳の上に置かれた朱色のお膳。 紫と金で描かれたほうき星の絵皿や、白塗りの醤油受、うっすらと青磁がかった小鉢なんかにたまった汁、煮出した汁や醤油の脂なんかの上に、その手の陰が揺れていて、俺は吐き気がしてきた。 God damn it!
 どうしてもこうも老人たちは蛍光灯が好きなんだろうか! 和室の蛍光灯。 damn it!目が痛えんだよ、どうもこうもさ。 ったく。

 我々は長い知り合いであったが、どうして大親父が大親父と呼ばれているのかを知らない。 ずいぶん昔に聞いたような気もしたが、勘違いかもしれない。なにぶん、俺は忘れやすい性分だから。 
 「忘れる。忘却。いや素晴らしい。人間が、狂わないでいられるのも、忘れられることができるからに他ならん」 他ならん、だってよ、しっかしねえ、狂わないが聞いて飽きれるよ。 まいっちゃうよな。 と野崎孝風にホールデン口調になるも、やはりこの手の年長者の家に来てご飯をご馳走になっているのだから、多少は時間を割いて聞いてやらなきゃ礼を失するのだろうけれども、大親父はまだ42歳で、子供もいなけりゃ、奥さんもいないわけだから、やっぱり、あまり指針にならないんじゃないのかな、ホント。 
 というのは、いま俺には、ガールフレンドがいて、その子と将来の約束なんかもしているし、兄貴にも最近子供が生まれて、親友の一人も先ごろできちゃった結婚で、なんというのかな、そう、不安になってきて、その相談をしに、こうして麻布にある大親父のマンションの一室で、馬鹿みたいに広い座敷の上に二つ膳を並べて向かい合って、日本酒を二本飲みながら、懐石料理を食っているのだった。