感動。絶望感、排他的ムード。

人々に軽口で色々なことを吹聴しているうちに、何が本当のことだか分からなくなってきた。
そもそも本当とはいったいなんなのか。仮に何かの物事で(例えば音楽なんかで)、リアルだな、なんて感じる瞬間があっても、リアルと感じる自分すら、そんな認識の第一歩てき部分すらあいまいになってきた、いまのボクたちで。

自分とはいったい何者で、さらにその自分が行住坐臥、哀楽喜怒しているこの世の中ってなんだろう?
実に素朴な疑問だ。
普段はそんなこと考えすらしないほど、素朴な疑問。

でも誰もこれが答えですよ、なんて目に見えて手に取れるような都合の良い答えを提示してくれる人はいない。それは経験則からわかっていただけると思う(宗教は別でね)。
現実って不条理で、裏切りと嘘に溢れていて、リアルすら時と場合によって、アンリアルに犯されてしまう瞬間がある。でもそれがいまここに在る世界で、その世界に存在する自分との関係性なんだね。
まったく複雑な話だよ。

こういう話はここから一つの答えを提示するのが王道なんだけど、それすらもできない。
色々な話があるよね。著名人や偉人の話なんか持ち出してきたりして、なんとなくこぎれいに人生をまとめてしまう。そんな陳腐で使い古された教訓話なんて、少なくともボクは真っ平ゴメンだね。
君たちはどうだろう?

誰かの提示した価値観に自分を即して安心させられるほど、一元的な人生観は持ちにくい世の中だと思うよ、日本は。

もちろん、生き悩んでいる人なんかは、簡単で分かりやすいマニュアルに乗っ取った形式で人生をまとめたがっているから、そういうのも必要なんだと思うけど、今、日本で生きている人たちの大部分は、誰かが提示した分かりやすい人生観なんかに飛び乗れちゃうほど、のんきで能天気でもないよね。

だから悩むっていう負のスパイラルなんだけど、正負の価値観が瞬間で転じてしまうのをみたことがある人が沢山いると思う。そして2ヶ月か3ヶ月経ったら、テレビの情報宜しく、忘却の泉に沈み込んでいく、日常生活。

そんな日常生活から脱却したい。
ボクはそんなことを考えています。

瞬間芸みたいな、コロンブスの卵みたいな価値観を受け入れられない、素直じゃない君。
ボクらは、どこへ行き、何を考えるのだろう。
何を食べ、何を愛し、何に感銘を受けて涙するのだろう。
感動。絶望感、排他的ムード。