21世紀の日本の私

 経営なんて高邁な言葉を弄し居ってからに、不届き者、成敗いたす!ジャリジョリ、ぐああ、たった一一度でいいから、お前の口から、おとっつあんって声が聴いてみたかっ・・・。 あんた!? あんた、しっかりおしよ!ねえ、あんた、と目覚めると、朝だった。

 私は、電気給湯器から出るお湯で顔を洗い、髭を剃るためにシェービングクリームを頬に塗りたくる。緑色したジェル状の泡はライムの匂い。 肌に触れると泡となる。ライムの匂いが顔中に広がり、私は、本格的に目覚めの準備を始める。

 洗面所から戻るとコーヒーメーカーから湯気が上がっている。 床にこぼさないように気をつけながら、マグカップにコーヒーを注ぎ込む。 冷蔵庫から牛乳を出すと、少したらした。 
 テレビを点けて天気予報のやっているチャンネルを探す。 九州地方がひどい台風だ、とひどい台風の中で中継しているお姉さんが最近減ったな。 東京 晴れ。

 APCの白いシャツの上にポールスミスで買ったベルベットのジャケットを合わせる。 裏地は紫のサテンだ。 ヘルムートラングコーデュロイパンツを穿いて、5本指に分かれたユニクロのソックスに一本一本指を通す。 行ってきますが、鍵は閉めない。 私の、少ない主義の一つだ。

 今日は、仕事で、六本木。 笑顔で過ごせる時間の少ない仕事だが、大切な、私の、食い扶持だ。
大江戸線に乗って、地下から這い上がると噎せるような人ごみがある。 しかし、私の、意識はもうそこにはない。 仕事モードに突入したのだ。 これから18時半まで、私は、私では、ない。 

 すべての些事が片付くまで、実際には23時近くまでかかった。 私は疲労したまぶたを強く揉みながら、地下鉄の中で揺れている。

 玄関の扉を開けるが早いか、風呂のスイッチ(全自動だ)を入れる。 冷蔵庫から、キリンのグリーンラベルを取り出し、プルタブを引っ繰り返す。 パキッ、と音がして、私は、私に戻る。

 読みかけの経営の本を取り出し、文字を拾いながら缶に口をつける。 一つ気の利いた文言を見つけたのでメモする。 

 丁寧に歯を磨く。 蛍光灯の紐を三度引っ張り、部屋は薄暗い。 21世紀の日本の私は、子守唄代わりにキング・クリムゾンのあの歌を聴きながら、眠ることにした。