人生の怪、小熊のおなか。

俺はいまパリでこのブログを書いている。
パリは喧騒の街である。 しかしいま俺がブログを書いているモンパルナスの伯母の部屋には、伯母の低い唸り声が鳴り響くばかりだ。

伯母は骨の癌に罹っている。 日本ではそれほど有名ではないが、ヨーロッパは骨の癌が大流行中だ。 俺の兄貴の奥さんの両親(英国人)もそれで亡くなった。 
伯母の体から伸びた7本の色の違うチューブは、それぞれ3台の機械へと繋がっており、見ようによっては何かのオブジェのように見えなくもない。
時折、咳き込む時を除いて、伯母の荒々しい呼吸音は止むことを知らなかった。
たしかに、伯母は死に掛けている。

俺はフランス語には暗いのだが、雰囲気だけでも楽しもうと、部屋に篭って「美味しいんぼ」に読みふけってみる。
旅の基本として、何かアクティビティー(活動)を行う旅と、何もしない旅がある。
前者は、スキューバーダイビングをやりにカリブ海に行く旅や、土地それぞれのカーニバルを見たりするのがあり、後者は言葉どおり、何もせず、ただ淡々といつもと違う場所で過ごすことを意味する。

俺はパリで、後者を進行中である。食事はうどんやパンなどをボソボソと食べて、美しいフランス娘のナンパや買い物も日本語で行うなど、無茶を極めており、所近のパリ市民からいつ苦情があがるかもわからない、熾烈な状況である。

しかし傍らには、いつも伯母がいる。
会話も出来ず、壊れた給湯器が吐き出すぬるいお湯で体を拭いてもらうときだけ、眉根を緩ませ、後の時間は、肺病病みの猫みたいな声で呼吸をしている、伯母がいる。それは硬質で、現実的な重みを感じさせる、異次元の何かである。

もちろん、この生活をそれほど続けられるほど、タフなものは持ち合わせがない。
誰にもないだろう。 耐えられるだけ耐えて、おさらばするだろう。 そうすることだろう。

他人事のように言ってみて、伯母を見ると、目から涙を流している。
大丈夫だよ、と俺は言って伯母の髪を撫でてみる。涙が止まるまで、撫でているつもりだ。