☆003

 「一万円、でございます」客から札を受け取ると、ビールを注ぎにバースペースへと向かう。足元の冷蔵庫からグラスを取り出し、ビアサーバーにセットする。
 ビアサーバーはとても古いもので、世界に10個も現存していない、とエレコムは説明した。「実際的には、カタログの中だけの代物さ」
 
 ゴールデン街のど真ん中に位置しているが、特に看板なんかを出していない「倶楽部洞窟」に入ってくる客は、非常に少ない。 ぱっと見それは、物置のように見えなくもない、およそ店らしくない格好のモルタル小屋だからだ。エレコムと呼ばれるペンギンが、どうしてこんな店を知るに到ったのか、まるで検討がつかなかったけど、仕事はたしかにオレ向きだった。 なにせ、一日に三、四人来る酔狂な客にこのアンティークビアサーバーを使ってビールを注ぐだけである。価格は一杯一万円。
 たいていの客は、いわゆるリピーターだった。
 「ここのビールだけは、一万円払う価値がある」
 最初にオレがビール注いだ客(46歳、会社役員)は、そう言って前のマスターの話を始めた。 「あの人には本当にお世話になった」

 何がなんだか訳がわからないが、まあ、そんな仕事に就いた。