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エミリーからの手紙

「ハイ、ヤス、元気にしてる?
私はいま、東京の府中にあるマンションで、夫と二人の子供と生活してます。
ここでの生活は、あなたと過ごした伊豆での生活と較べると、いささか味気ないものです。生活に不安などかけらも見られませんが、極めて単調そのものです。
夫は毎日家にいるし、子供二人を幼稚園に送り出すと、食事から掃除までスウェーデン人のメイドさんがやってくれるので、私にすることといったら、あなたが再三勧めてくれたロシア小説を読破するくらいなものです。そして実際に私はそうしてみました。
正直なところ「アンナ・カレーニナ」はあなたが言うほど私の心を打ちませんでしたが、それにしてもよく書けている話だと思いました(不幸って、本当に色々な形をとるものなのね)。

さて、私は読書感想文やつまらないお為ごかしで肩透かしな近況報告をしようと思ってあなたに手紙を書くことにしたわけではありません。一方的な報告のためだったら、私はまだ心の中にある「あなたといた頃の私」を自重することができます。それは子供が二人いる親としては当然の節度です。あなたも子供ができたら、それがよくわかるタイプの人だと思います。
ですがもし私があなたを殺すかもしれない、といった場合においてはその限りでない、という言葉の意味が、あなたにはわかりますか?
私の中で「あなたを含んだ何か」が破裂して、その残骸があなたに具体的な被害を及ぼすかもしれない、と知った時点で、私は何はさておき、あなたに手紙を書くことにしました。

誤解してほしくはないのですが、別にもったいぶってこんな書き方になっているわけではありません。あなたにもったいぶるような何かを、さっきも言ったように、私は抑えることができるし、抑えてきた。

しかし今、私の中にあった元「あなたを含んだ何か」の残骸は、この手紙を見てもわかるように、現実のあなたが存在する方向へと向かっています。時速100km ほどで進んでいるかと思われます(推測)。事情が事情なので、乱筆お許しください。

つまるところ、私はもうそれを引き止めておくことができないし、なかったことにするにしても遅すぎたことを、お詫びしたかったのが、一点。それと、次の手紙が届くときには、あるいは、あなたはその残骸に出会ってしまったあとかもしれませんが、なにぶん狡猾なペンギンなのでご注意ください、の以上二点。確かに伝えました。

さようなら」

エイミー
2009年8月9日