今までの音楽、これからの音楽 5

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前号に「『OASIS』について書くことはない」と書いたが、それは「OASIS」というバンドとボクとの関係をうまく語る言葉を知らないというだけで、彼らの歌について全く書くことがない、と言っているわけではない。

例えば、彼らの代表作の中に「Live forever」という曲がある。
この曲はローリングストーンズの"Shine A Light" ≪Exile On Main Street 収録≫に影響されて書いたんだ、とノエル・ギャラガーはある番組でコメントしていたが、実際のところ、そこに語られているノエルのメッセージはとても深く当時の若者の骨にしみこんだようだ。
まるで徹夜あけの、午前7時のビールみたいに。

それはつまり、こんなメッセージだ。

「オレは自分の両親の関心ごとに興味を持っていなかった。
オレは生き方とか人生とか、そーゆーことに興味があったんだ。
そのせいでずいぶん、つらい思いをしたよ。

同じような悩みを抱えているなら、オレとあんたはきっと似ているんだろうな。
だとしたらさ、きっとオレたちは人生にそれほど興味ないやつらが見えていない「あの世界」を知っているってことだろう?
無限に生きることができる「あの世界」を。

オレはうまいこと成功できたけど、オレたちみたいな人間がこの世界で成功していくのは
かんたんなことじゃない。
でもだからって、泣いたり、悩んだりしているだけじゃだめなんだ。
いまは「どうしてオレは成功できないのか?認められないのか?」ってことを真剣に考えるときなんだ。

オレも昔は、自分の夢をあきらめそうになったことがあるよ。
でも、もし同じ悩みを抱えているなら、オレもあんたも多分、同じだよ。
だからもうちょっと頑張ってみようぜ。
そしたらさ、ジョン・レノンみたいに死んだ後も、ずっと生きつづけられるかもしれないんだから。」


世界中でアーティストを目指している人たちが、これほど強く勇気付けれらるメッセージがかつてあっただろうか?
ボクは知らなかったし、今でも知らない。



1997年、8月。
(まさに栄光と呼んで過言ではない)「モーニング・グローリー」を越えて出された「BE HERE NOW 」。

不思議な違和感を感じた人はボクだけではなかった。
まるで「OASIS」なんかに興味を持っていなかった人々までが、「stand by me」っていい曲だよね、と言って来たりした。
それもまた、奇妙なものだったが、何よりも奇妙だったのは、そのアルバムには「かつてあった何かが欠けている」ことだった。
それはまるでドーナツの穴のように、明らかに作為的で明確な欠如だった。

ノエルが「Live forever」で歌っている「あの世界」が見えていた、若いアーティストたちは首をひねって沈黙したことだろう。
なぜなら「BE HERE NOW」におさめられている曲はすべて、何かの欠如に関する、何かに欠如した存在の、何か欠如した考え方ばかりだったからだ。そしてそれらすべての曲には「かつてあった何か」つまり、昔のOASISが持っていた、人々を励ますような暖かい心、が消えていたのだ。

いったい何が変わったのだろう?
彼らが変わってしまったのだろうか?

いや、ボクはそう思わない。
ボクはこう考える。

「モーニング・グローリー」が1996年に何かを殺しかけていた。
そしてリアムが20世紀最後の「Stand by me」を歌ったときには、それは完全に死に絶えていた。