☆715

「いないのか?」オレは鉄製の扉の前で、言った。けっこう、大きな声で。

返事はなく、もう一度インターホンを押して、ドアを二度たたいて見る。結果は同じだ。

ポケットから先日エイミーがくれた合鍵を取り出し、鍵穴に指す。上下を何度か入れ替えると、ズルズルと指先の鉄板はノブに吸い込まれ、やがてガチャンといやらしい音を立てて錠が揚がった。

大型犬の腹ほどの玄関にはきちんと揃えられたハイヒールやらスニーカーが並んでいる。
オレはジャック・パーセルを脱ぐと、犬の形の玄関マットに素足を乗せる。

電気をつけると、ソファー、テレビ、茶箪笥などがある狭い部屋が浮かび上がってくる。木製柄の壁には、ところ狭しと写真が飾ってあり、そのほとんどにエイミーの顔はない。
家族や友人、元旦那が在りし日の栄光を讃えるみたいに、苦笑いをしている写真郡。

オレはソファーに腰掛けると、テレビの電源を入れる。
若手のお笑いタレントが早食いに挑戦しているバラエティーが画面に映り、チャンネルをNHKに戻す。
「・・・・つまり村上氏は、文壇的な課題や要請とはまったく無縁な場所で作家としての活動をはじめ、『羊をめぐる冒険』によって日本に最初の本格的な西欧流近代小説を、誕生させてしまったのであります」
福田和也だ。

オレはしたり顔の福田氏に微笑みかけ、ふと脇のFAX付きの電話から長々と紙が排出されるのを目にする。取り上げて目を通そうとしたところでエミリーが帰ってくる。「あらいたの?」

「オレは取り上げた紙を何もなかったように地面に伏せると、エミリーを迎えに玄関まで立ち上がったんです」

「おかえり」
「ただいま」