逃げ出すのか、始まるのか。(東京)

あるいは人間は一生を掛けて自分という物語を完結させる自動機関であると言えるかもしれない。

もちろん、地球上のあらゆる動植物が、地球という巨大な物語の登場人物群に過ぎない。
そんな風に考えることだって可能だ。
そして自分という人間は、one of them(その内のひとり)で、決して単独な存在ではない、と自分を慰めることもできると思う。自分にはたくさんの仲間がいるのだと。

しかしボクはこう思う。
人間は、自意識が芽生えた時から、自分の物語を書き始め、それをいつかは完結させなくてはならない。

起承転結を付け、注意深く句読点を打ち、升目からはみ出さないように自分をコントロールし続け、事切れるその瞬間まで物語を書き続けなくてはならない。

人生に物語を付帯するのは、自分であり、その自分がいなければ、物語はなくなる。自分という物語を語ることに疲れてしまった時点で、The End、ゲームオーバーなのだ。

人生にくたびれ果て、惰性に塗れながら、母の助けを借りて生き残っている父を見て、そんな風に思った。25歳の時のことだ。

父はまるで冷蔵庫の片隅に忘れ去られたきゅうりみたいに、醜悪で役立たずだった。

老人めいた言葉を吐いて労働を避け、世捨て人風な台詞を口の端にぶら下げながら、不潔な生活を送っていた。

父の部屋だ。
何年も掃除機を掛けない絨毯はいつだってじっとりと湿っている。煙草の脂で黄ばんだ白地の壁は、一度も磨かれたことがないのだろう、指で触れると茶色の染みができた。
ドアを開けてすぐ脇にあるクローゼットの中には、何着かの洋服が掛けてある。どれも皺がよっていて、鼻を近づけると、饐えた汗の臭いがした。二段になったクローゼットの下には、古紙や本が散乱している。そのどれもが、夥しい量の埃を被って、完全に死に絶えていた。

机の上には何年もそこにあったであろう使いかけのコップや、ボールペンやメモ用紙が置かれている。

メモ用紙を一つめくると震えた字で「人生は・・・・・」と教訓めいた何かが書いてあった。内容は読み取れない。

ボクはそんな家が嫌で、何かと理由をつけて東京へ出てきた。
2003年4月。

ボクは東京で生活を始めた。






ひょっとしたらボクの考えはひどく孤独で、短絡的かつ傲慢な意見なのかもしれない。
だけれども、まだ今のところ、この考えを改めるつもりは、ない。