第十七章

「つまり君はCLUB Caveから出て、気が付いたらバスに乗っていた、と」傭兵はヨーグルト食べながら、訊いた。「CLUB Caveとバスにはなんの共通項もない」
「ええ、そうなんです」羊は、牛乳を片手にメロンパンを齧っている。さっきから羊は、全く牛乳とメロンパンってのは芸術的なカップルだ、と考えながらしゃべっている。自分から傭兵の部屋に相談をしに来たのに、失礼な羊だ。
「それで女の子とは話せたのかい?」傭兵はヨーグルトを片付けると、次はコンビニで買ったごぼうサラダを食べ始める。傭兵の歯がごぼうの繊維を噛み砕く音に、敏感にも反応した羊は、思わずむず痒くなって背中などを掻き毟り、メロンパンに齧りつく。
「いへぇ」
「羊くん、大丈夫かい?」
なんとか喉に詰まったパンを牛乳で飲み下した羊は「すいません、すいません」と繰り返した。
そんなことはお構いなしに傭兵は腕を組んで考え始めた。そして羊が結構な時間をぼんやり過ごし、牛乳が口の端に残す滓が固まると臭いだろうなぁなどと妄想する頃に一つの結論を出した。

「君は安定から混沌へ移行している最中なんだ。エントロピーの世界観さ。
つまりこうは考えられないかな?今回の出来事は、君というある程度整った体系が、非体系的なものへと変りつつあるから起こった偶然なんだってね。だって、仲間との楽しい時間が、女の子との完全な別れを導くだなんて、あんまりにも不条理に過ぎるだろう?

しかし二つを繋ぐミッシングリンクをはじき出さないことには、君の人生はいつまでたってもそこで停まったままなんだ。解るかい?偶然を説明する必要に迫られているんだよ、君は。言い換えると、偶然を必然に変える公式を探す必要性に迫られているんだ。君だって、嫌だろ。自分の人生か他人の人生か判らない人生を、これからあと何十年も過ごすなんて。

そこでだ、君の偶然に最も大きいだろう影響を考えてみる。君に一番影響を与えるものって何かな?お父さんお母さんの生活?それとも君の友人達?学校で関わる人々?環境?哲学者?スポーツ選手?作家?タレント?音楽?まさか、渋谷のモアイ像だなんていわないでくれよ。

僕の私見だけど、君は君が自分で考えている以上にある人間の影響を受けていると思うんだ。それが誰かはおいおい分かるとして、ある人間の影響ってのは言い換えると、エネルギーだよ。空間と物体に対してのエネルギーね。
君はある絶対的な人間のエネルギーの影響下にいるんだ。人はそれを運命と呼ぶこともある。時代ということだってできる。

そして君の人生がエネルギーの影響下にあるのだったら、その流れは一方向でしか運動しない。利用可能なものが利用不可能なものになるという変化しか、少なくとも物理的に言って、この世にはありえないんだ。悲観的になることはない。それが事実だから。

今回の偶然は君にとっちゃ厄災だったかもしれないけど、君がいま晒されている脅威的なエネルギーの発信源の方から君に起こったことを考えると、それは全く起こるべくして起こったできごとなんだ。
今ここで、空から恐竜が降ってくることだって、君の人生においては必然的なことだと認識する必要がある。偶然じゃないんだよ、羊くん。君に起こったことは何一つ偶然じゃないんだ。

そして、エネルギーは体系から非体系へと変化する。君の人生が混沌に走っているのは、まぁ、物理学的に言ったら必然なんだ。

でもまぁ、いずれにしても男女の別れもエントロピーの拡大に一役買っているだけのことなんだ」そういうと傭兵は牛乳をグラスに注いで一気に飲み干した。
それきり二人は黙った。
沈黙に耐えられなくなった羊は、簡単に礼を言うと、ごみを持って傭兵の部屋を出た。
「おい、羊くん」扉を閉めると傭兵が呼ぶ声が聞こえた。もう一度扉を開けると傭兵はDVDを投げて寄越した。
タイトルは「Waking life」。
「面白いから観とけ」
羊はありがとう、と言って扉を閉じた。