第十六章 er' ling pa

頭を金槌でかち割り、もろ手で中身をごっそり抜き取り、ピンク色したヌラヌラの脳みそをちょっと大きめのビニール袋に入れて、口をしっかりと縛る。そいつを両手でしっかり持って、オラオラオラぁと気合の入った掛け声と共に、振り回した感じ。

そんな感じで、羊は目を覚ました。凄まじい吐き気だ。
頬にざらざらとした布の感触。どうやら横になっているようだ。ただでさえぼやけている視界が激しく揺れるのは、床から伝わってくる振動のせいみたいだ。揺れとぼやけから来る映像は、複雑な絵となって羊の眼底に映っている。その光景が羊に喚起するのは、よく映画なんかに出て来る古い学校の校舎の板張りの廊下だ。ワックスの匂い、窓から差し込む光。女の子達は白い揃いのワイシャツを着て、行儀良く左右に2つずつの列を作って羊に背中を向けて座っている。まるでドミノみたいに規則正しくならんでいる様は、羊の吐き気をより酷いものにした。そして、どの子のワイシャツも汗で背中に張り付いていたのは、致命的だった。羊は嘔吐した。

途端に振動が羊の身体を前に突き飛ばし、自分が戻したゲロ溜まりに頭から突っ込んだ。あれ、と羊は思う。
< こりゃどういうことだ。一体何だって。ええ、どこ?っていうか、この揺れは何だ。オプ、気持ち悪い。んぐぅ。? あの女達は誰だ。うう、なんかすごく暑い。誰か窓開けろ。 >

「誰か窓を開けてくれ、暑くて死にそうなんだ」思わず羊は女の子達に向かって叫んでしまった。しかし、気まずい緊張感が流れるだけで、一人として羊のほうを振り返る者はない。冷たい世の中だ。

それもそのはずだった。羊はバスに乗っていたのだ。しかも休日の朝に制服を着て学校に通わなくてはならない類の女の子がずらりと乗り合わせた、バス。羊が嘔吐しながら床に突っ伏していると、コツコツと小気味良い音を立てて、近づいてくる者があった。目線をあげると、ローファー、白のミドルソックス、綿製のセーラースカート、と来て、赤いリボン、そしてあの女の子だった。図書館で奇妙な本を貸してくれた、あの女の子だった。
「大丈夫?」女の子はハンカチを差し出してきた。と、バスは急停車した。女の子を押しのけて、運転手が歩み寄ってくる。特に怒っている様子はないが、運転手は羊の首根っこを捕まえて、窓際へ連れて行った。
「ほれ、おめえは、こっちきて吐け。姉ちゃん達、ちょっと悪いけんども、掃除するまで待ってて下さい」羊を窓際に置き去ると、運転手は後部座席からバケツと雑巾を出して、掃除を始めた。その間、羊は女の子からペットボトル入りのお茶を貰い、飲んでは吐いて、飲んでは吐いた。

なんとか簡単な掃除を済ませると、脱臭用のスプレーを撒きバスは再び発車した。羊は前の方に座り、隣には女の子が付き添った。片手にはビニール袋が握らされている。発射する前に運転手が渡したものだった。「おめえ、吐きそうになったら、ここにしれ」どこの訛りかわからないけれど、その不思議な抑揚をもった調子が可笑しくて、羊は顔面蒼白になりながら微笑んだ。「ありがとうございます」と羊は言った。



「もう逢えなのかと思ったよ」羊はビニール袋に顔を突っ込みながら言った。
「私もよ。もう逢わないつもりだった」女の子は羊の背中を摩りながら答えた。「どうしてあなた帰ってきたのよ。帰ってきたりしたのよ」
今度は羊がしゃべる番だったが、しばらく話がまともにできる状態ではなかった。そしてバスは終着駅に着いた。

商業高校は山の上にあった。玩具みたいな小さな白い建物で、その軽く3倍はあろうかという広さのグラウンドでは女の子達が体操着を着て、ダンスの練習をしていた。

羊は一目散にバスを降りると草むらを探し、そこでもう一度戻した。指を喉に突っ込み、胃液まで吐ききると気分は幾分すっきりした。汚れた中指をズボンで拭うと、携帯電話を出して時間を確認する。11:38。適当な木陰を見つけた羊はそこに倒れこむように持たれかかると、やれやれと溜息を一つついた。
後から降りてきたあの女の子は羊に向かってハンカチを投げつけると、校舎の中に消えていった。
白いハンカチには、208というプリントがあり、その上にer' ling paピンインが振ってあった。木々の隙間から白い太陽が凶器のように羊に迫ってくる。夏は目の前だった。