第十四章 シン

毎週土曜日になると、驚くほど沢山の人たちが《 元緑屋商事 社員寮 》を訪れた。
それも10や20なんて数ではない。
一度暇な時、羊はその数を18時頃から数えたことがあった。23時までに合計70人という人たちが一階の入り口から姿を消した。そして彼らは朝の6時までどこかへ消えていた。一階の広さから考えてもどうしたって70人からなる人たちが入れる余地はないし、彼らが一斉にとはいかないまでも、出すであろう少なしからぬ騒音を抑えるような防音設計を施されていないこの建物にどんな不思議があるのか、羊は引越し当初から訝しく思っていた。

そして折りしも土曜日の晩、「みみず城」を読み終えた、羊は深く考え込んだ。


何度か逡巡した後、結局羊はページを戻して「クリスタル睡眠」を再読し、「生きる女」をもう一度読み直した。

< 二つの話がもしコネクトしていないならば、これはただのクズだ。>

< しかし、もし二つの間に何か繋がりがあるとすれば、その間に挟まっていた、「夕刊セックス」や「モアイ店員」なんかも、もちろん互いに何らかの繋がりを持っていると考えるのが、妥当であろう。>

さて、と羊は思う。
< さて、みみず城のクリスタルは第一話にあったクリスタルと同じものではないだろうか、いやいや、この話は単なるクズさ、いやでも、あの女の子が薦めてくれた本だぞ、この本がクズってことはあの女の子の感性もすなわちクズ、とまで急な結論は出さないまでも、その線に掠らないであろう可能性は確実に跳ね上がったわけで、これをこれ以上読むのは時間の無駄だろうなぁ、ってでも人生に無駄はないっていうからなぁ、なんて言っていると「光陰矢のごとし」なんて説教たれる奴が現れるやもしれないし、でも確かに人生は一度きりの夢なんだから、それだって所詮はキリスト教的世界観なわけだから、うん、イスラム教は・・・、輪廻って仏教経典から来ているから、ん、アラーの神は死の世界に対してどんな考えをしていたのかなぁ、ってやってても肝心の問題は解決しないまま、無駄に時間が過ぎていってしまって、って無駄はないのよ >

もはや羊の頭では全く答えを出せなくなったので、羊はハルキンの部屋を訪れた。“ただ単に物が溢れている”という形容詞以外では、形容のできないくらいに乱雑に物が散らかっているその部屋は、ちょうど羊の部屋の真下にあった。

ハルキンはちょうど何かを終えたらしく、何かを終えた風な顔をしていた。それが何であったのか、羊にはわからない。知る術も、現実的には、ない。ハルキンはプライベートに触れられるのが大嫌いなのだ。そしてそれを知っている、というか羊的敏感さでファーストコンタンクトの時に感じ取った羊は、以来ハルキンにプライベートなことを聞いたことはない。
「羊、どーした?」曖昧に視線をそらした羊はハルキンに「25 strange stories」を渡し、「みみず城」を読んでください、と言って早々に部屋を辞退した。

――――――― 35分後


「ほら、羊、来いったら」ハルキンに手を引かれ、羊は恐る恐る《 元緑屋商事 社員寮 》の地下室へ続く階段を進んでいる。
「ここに来ることとみみず城の話と一体なんの関係があるっていうんですか?」
「まぁ、いいから。くればわかるよ」ハルキンは一向に構わないと行った様子で狭い地下室への階段を進んだ。入り口は一階のトイレの脇にあり、普段は鍵が掛かっているその観音扉の入り口にこんな地下通路があることは、羊を相当驚かした。
「週末集まる人たちはここへ来ているんですか?」
羊の質問にはもちろん答えず「お前、絶対ここで見たこと聞いたこと、人に言うなよ」とハルキンは真剣な目つきで言った。
「もちろんですよ。でも一体何が行われているっていうんですか?」
階段を下りると細長い道が1メートルほど続き、先には黄色でペイントされた扉があった。扉の前まで来ると、30平方センチくらいの木片が掛かっていて、そこに焼鏝で“CLUB Cave 211”と刻印が押されている。扉の向こうから来る沈んだ音が定期的に羊の着ている綿シャツの袖を揺らす。
「そりゃ、秘密だよ。とにかく来れば解るさ」ハルキンは笑って扉をノックした。

しばらくするとたまに風呂場で見かけるシンが扉の向こうから現れた。しかしそれと同時に、完全に開放された扉の向こうから凄まじいボリュームで重低音が溢れ出して来て、羊の敏感な耳を容赦なく襲った。堰を切ったダムの水に溺れるように、喉を詰まらせて、跪きそうになった羊の肩を掴みシンは抱き寄せた。
「おーす。よく来たね」シンは全く音など気にならないと言った感じでハルキンと握手をしていた。
「た、確か、シンさんですよね?」やっとの思いで起き上がると、シンの耳元で羊は叫んだ。
「おー、よく名前覚えてるね」シンは上機嫌だった。
「ええ、癖なんです」
「いい癖だ」ハルキンが入ってきた。「さあ、羊、パーティーだ」
シンはハルキンと羊にコリンズグラスに入った何だか分けのわからない飲み物を手渡し、二人を中に入れると、扉を閉じた。