幻覚障害

最初の目覚ましが鳴ったのは、7時20分だった。
俺はベッドの下から煙草を取りだし、枕元のライターで火を点ける。
煙を燻らしているあいだ、色々なことを考える。―――― 女のこと、禁煙について、きょうの服装から朝飯の算段、朝マック、小諸蕎麦、ピーナツクリームサンド。
天気はどうだ?
茶色の遮光カーテンを繰ると青白い光がシーツに反射する。ぼんやり晴れ。

キティのピンクプリントが前面に押し出されたファンシーな目覚し時計には、生意気にもスヌーズ機能がついている。俺は煙草をもみ消すともうキティー時計を睨み付けて時間を確認する、7時27分。スヌーズが後三分するともう一度鳴るはずだ。俺は三分間の二度寝を決めて、再び目を閉じた。

次に目を覚めた時、キティーの時計は7時20分を差していた。
俺が慌てふためいたのは言うまでもない。さっき7時20分だったのに・・・。俺はテレビを点けて時間を確認する。「目覚ましテレビ」の画面の左端には7時21分が点滅している。俺はやれやれと言うと、首を振って再び眠りに落ちた。きっと疲れているのだ。時間が戻るなんて。

次に枕に埋めた視点が急いで時計を捕らえると9時30分だった。キティースヌーズは役に立たなかったようで、俺は寝坊した。会社に電話して、今日は体調が悪いので休む、と簡単に伝え、また眠りについた。

その日からだった。
俺が2度寝をした日は必ず一度時間が逆転した。7時20分は必ず2度訪れるようになった。
それは最初こそ俺をドギマギさせたが、今では時間が過ぎ去る前の7時20分に起きてその日一日を架空のものとして過ごしたり、2度目の7時20分に起きて前日起こりえなかったことに挑戦したりしている。会社の女の子を口説いたりだとか、上司を呼び捨てにしてみたり、とか。

しかし二つの世界には全く一つの共通点も見つからないことが殆どであった。電車は毎日定刻には訪れないし、会社の同僚も日ごとに俺のへ態度を変えたからだ。結局、統一された未来なんてものは存在しないということなのだろうか。

幻覚とは必ずしも目の前に存在し得ないものが浮かんでいる状態ばかりを指すのではない。

俺は医者にこの事を相談した。2度寝をすれば毎日が2回訪れること。
医者は薄ら笑いを浮かべながら、そういった事例もなくはないが、あまり気に病まないように、と言ってパキシルの量を増やした。MAXの40mgだ。

俺の病気は進行しているのかもしれない。しかし爪や髪の毛の成長を止められないように、誰も俺の病気の進行速度を止めることなんてできないのかもしれない。