the nineth Story~ みみず城~下

それはアイスランドに聳える白い城だった。吹雪にも凍らず、紫色のライトで照らされた不気味な城。城は少年に向かって笑い声を上げていた。
少年は夢から醒めると、中心の政府にそういう城がないか、連絡してみた。一報を聞いた中心政府の役人は大笑いし、すぐにそれは嘲笑の的になった。
しかしその少年が、高等役人試験を7歳でパスしたことを知ると、青くなってすぐに調査員をアイスランドへ飛ばした。そして城は確かに存在し、紫のライトで照らされているとの報告があった。
中心政府に呼び出され、ヘリコプターで北京へ向かう途中、少年は世界中で爆弾や血が流れているだろうことを想像し、涙ながらにまた眠った。夢に回答が現れるからと少年は踏んでいたのだ。

夢の中で城は少年に語る。

「よく来たね。やっと気が付いてくれたか。君はあの時、私が消した一歳児の一人なんだ。人間の可能性が見たくて君らに私の正体と思いを託したが、君は少し遅かった。もうまもなく、世界の人口は1000人を切る。その中には、君も含まれている。しかしそれは私の手に拠るものではない。君自身の運命だよ。君が発する生命の光が、弱弱しくなっていくのが、私には見えるんだ」少年が冷や汗をぐっしょりと掻き、目を覚ますと、ヘリはどこかに着陸体勢に入っていた。少年が下を見下ろすと、背の高い武装した白人が20人ほど、銃を構えて、ヘリの着地を待っていた。
ヘリが鈍い音を立てて着陸すると、スライド式のドアが開いた。

「下ろせ」と兵隊の長らしい男が、ロシア語で少年の脇に座っていたスーツの男に命令した。男はサングラスを外すと、きちんと撫で付けられた頭を櫛で直して、少年の洋服の襟を掴んで、ヘリから降ろした。

ロシア語を解した少年は地面に着地すると「ボクは荷物じゃない」と流暢なロシア語で返した。

次の瞬間、兵隊長は消えた。そして2秒と待たず、裏取引をしたらしいこの一連の事件に関わる人間達が少年の前から姿を消した。少年だけを残して、消えた。元中国とロシアとの国境のこの町から、一番近い街の場所を思い出しながら歩いていた少年に、野生の熊が襲い掛かったのは、兵隊長たちが消えてから、30分ほどたったころだった。
ちょうど川べりで水を飲んでいた少年の後ろからヒグマがのっそりと現れて、少年のすぐ脇で水をガボガボと飲み始めた。突然の野生の到来に硬直した青年は、死んだふりをするか、自分のポケットに鈴がないか確かめたが、もちろん持っておらず、立ちすしたまま、なぜか呼吸を止めていた。止まってしまったのかもしれない。
フゴフゴと情けない声をあげて渇きを癒した喜びを誰ともなく伝えているヒグマ。喉が渇いたら、次は飯でしょってことで、隣で俯き必死で呼吸を堪えている少年の方へゆるりと歩いてきた。少年の耳元に鼻先を近づけたヒグマは野菜の鮮度を確かめる主婦のごとく、少年の頭を撫で回し、匂いを嗅いだ。
ヒグマが少年の衣服をつめ先で弄っていた時、遂に青年は止めていた呼吸を吐き出さざるを得なかった。少年の生暖かい呼吸を鼻に浴びて、ヒグマは何か重要なことを思いついたらしい、その場にどしんと腰掛けると、首を捻った。さて、少年はというと、逡巡する間もなくヒグマの放つ獣臭に耐え切れず、今朝方食べた食材をすべて河原へ吐き出した。少年が跪いて吐瀉している様を尻目に、ヒグマは落ち着いた調子で立ち上がると少年の目の前に立った。据えた匂いが集中力を削いだことがよほど気に障ったのか、ヒグマは水に濡れた右手をブルブルと震わせると、それを容赦なく少年の頭に直撃させた。

そこで少年の生涯は閉じるが、少年は走馬灯の一番最後に「音」の核心を見た。アイスランドにあるワームの城「みみず城」の中心にあるクリスタルが見えた。そして、そのヴィジョンを瞳に焼き付けた。

ロシア軍に拉致された少年の情報を聞きつけた中心政府が現場に駆けつけたとき、少年はすでに息絶えていた。少年の持っていた国民証明書に入った電波を元に手繰ると、一匹の口元が血塗られた熊が発見された。すぐさま射殺され解体されたヒグマの胃の中から、辛うじて消化されずに済んだ、少年の遺体の一部が回収された。

脳みその大半は消化されていていたが、運良く目玉は残っていた。調査隊は少年の瞳から角膜を取り出し、記憶を再生させると、僅かだが生体時のヴィジョンの断片の映像化に成功した。それはアイスランドに聳え立つ「みみず城」と、その複雑なシステムの核となる、クリスタルが交互に映っているものだった。

3448年に世界が滅びた後、中心に僅かに残った人々で結成された調査隊がその城を発見し侵入を試みたが城は、悉く侵入者を拒否した。そして中心の人口が100人を切る頃、誰もその城に挑戦するものはなくなった。中心は復讐をあきらめ、繁栄に力を注いでいた。

そして都市伝説と化した「みみず城」は人々の中では第一級のタブーとされ、現在に到っている。「音」も不用意に城に挑戦するものがなくなると、完全に姿を消した。今、その城にカトウとナガイという二人の人間が挑もうとしている。一人の女の心を捉えるために。

「あの伝説のクリスタルを手に入れた方が、マイコを手に入れる。どうだ?」ナガイが再び訊いた。
カトウは黙って頷いた。マイコははしゃいでいた。