第九章 遭遇

4月29日

万時が順調に進んでいるように思えた。
試験も一発で受かった。
学校は地元の商業高校のような、微妙な華やかさもないし、工業高校のように髪を逆立てないと、ただの馬鹿だと苛め抜かれるようなこともない。ごく普通の学校だ。

その春は毎日が気が狂うような暑さで、洗濯物は恐ろしい勢いで乾いた。青空にはためくトランクスを誇らしげに眺め、羊は煙草に火を点けた。

羊は学校に入学すると家を出た。電車で通える圏内に学校はあったが羊はあえて一人暮らしを両親に申し出た。
「なんだってわざわざ?」母は驚いていた。
荷造りをしながら羊はボソリと答える。「ボクには朝食の選択で頭を悩ましている時間がないんだよ」
「なんだその口の利き方は」新聞を畳んで机に置くと、父は煙草を咥えた。「お前は大切なことに気が付いていないんだよ」
「わかってるよ、思いやりだろ。優しさだろ。家族の絆を、だろ」
「お前はその価値が判っていない。それが問題なんだ」父は煙草にマッチで火を点けた。「最近煙草の減りが異常に早い。お前、吸ってるのか?」
違うと言いかけて、羊は両手を机の上に叩きつけた。
「ぼ、ボクの彼女だよ」
「あら」
「そいつは失礼」

結果的には、毎週末帰宅することと、無駄遣いをしないことで、両親は了承し、羊は一人暮らしを始めた。
とは言うものの、ワンルームマンションに羊を住まわせる甲斐性を持たない両親は、鄙びた寮を探してきた。

駅を降りて蜘蛛の巣のように張り巡らされた路地を進み、川とも呼べないような川を仕方なく橋を使って渡ると、その寮はあった。すぐ傍には銭湯とコインランドリーがあり、その前には今にも潰れそうなampmがあった。

建物はお世辞にもきれいとは言いがたい、築30年もので、オカマのマネージャーと、母が見たら救い難いと形容するだろう、素敵な先輩達がその寮にはいた。

遭遇。

予期せずして羊はつまらない誘惑に片足を突っ込もうとしていた。羊は16歳になっていた。