第十話

オペラのコンサートが終わったときのような拍手が鳴り響いている会場で、「オレは不誠実なやつかもしれない」、と思いながらいい歌を歌った。もちろん、対価は大きい。スタンディングオベーション、途切れないアンコールの声、オンナの嬌声。そして多額の現金を想像しながら飲むビールの味。
一日汗水たらして働いて日当9000円なんて仕事はざらにやった。家に帰る道すがら、韓国製の100円で買える最安の発泡酒と、それより15円高ドラフトワン、どちらが美味くてどちらを買った方がお得感があるのか、と考えていた頃とはビールの味がまるで違った。

それは一重に、労働力とその対価がどれほど不平等な関係のものなのか、またその金を巡って醜態を晒す人間がどれほど愚かなのかを知ったことによると思う。成長の証だ。

しかし今日の俺は昨日の俺ではなかった。
いつもならなんともないこの当たり前の対価が俺の脳みそをひっかき始めた。

俺は苦しむと過去に帰ることにしている。

タイムカードで時間を切り売りしていたあの頃の悪い癖が顔出す。
口をついて出た言葉は、「 退屈なんだ 」

ギターの野郎は同じリフが引けないし、ベースはいつも遅れる。ドラムは途中から好き勝手に叩き出すし、観客は俺の歌を聴いていない。


俺は単に目立っていれば、それで満足なのか?

ティーンの金をかすめとっているだけ。
そんな声が聞こえても、そんなものはピストルズの自嘲さ。


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俺は、ってなテンションで「愛」だの「恋」だの、地球だの平和だの、お前だの俺だのと、毒にも薬にもならないポップを歌ってる。

売音家だ、俺は。

チャートはいつも初登場5位をくだらなくなった。
まっちゃんに顔を覚えてもらってる。

雑誌ではやっと「俺が一番苦心している作業」に賛同する若者が増えた、と書かれるまでになった。業界では話題の中心にいて、俺も無茶ことは言わない。例えばこの間ロールスロイスをプールには沈めたけれど、あれは冗談だ。本当はあんなことは馬鹿げているとわかっている。
そして、トレンドというのはmy way(自分の道)かhigh-way(高速道路)、人がそのどちらかいるだけのことのだということも知った。
つまり大衆は、前に進まなくてはいけない、と固く信じていることがよくわかった。それが社会の原動力になっているということも理解した。
大量生産大量消費。まるで呪文。俺はミュージシャンだからこんなときは歌を作るようにしている。

大量生産、大量消費
おお双子の恋人たちよ
大量生産、大量消費
それは近親相姦だぜ
妊娠して、子供どっかん
妊娠して、子供どっかん
人人人
人人人
増えすぎた人は悪くない
悪いのは
大量生産、大量消費
ああ、今日も日が暮れる。


うーん、ワレながらひどい歌詞だ。

そう。俺は、オトナになった。


当然のことだが、いろいろな責任を背負いながら、自分自身のために歌っているのだ。

でも俺だって「世界が平和であって欲しい」なんてことを考えないわけじゃない。
堕ちたことならあるよ。
松原真はそう懺悔しながら、衣装に替えていた。
もう三回目のアンコールで、いつものあの甘い曲で終わりにするか。
そんなことを言い聞かせながら、自分で思い当たってしまった「堕ちた生活」の記憶は松原真を激しく混乱させた。孤独にさせた。もうあそこへは帰りたく、ない。

歌は始まった。ピアノで始まるこの曲はオアシスのパクりだとウェブでは書かれていることが多いが、実際のところ、REMのWhat's the frequency, kennethを甘く、そして赤く染め代えた「ドンルック」と一緒にされることに、安心したりもする。
だが、今日は五年前にこの曲を完成させた松原真はここにいなかった。
彼は、観客を前にすると、裸にされたみたいで、演じることができなくなってきていた。
そしてラブバラードの真っ最中に汗でマイクを滑らせてしまった。

ゴトン、ゴロゴロ、キ―――ん。
意識の中のマイクは、ほんとうにゆっくりと地面に吸いつけられていく。
ゆっくりとただ運命的に落ちていく、その様を松原真は眺めていた。

手が震えてしまって肘が伸びなくなっている。一万人の客の視線は、松原真をすり抜けて、影を映し出している光源にぶつかる。
突き抜けた感じを得るためには、足りないことだらけだった。

「グリーン・ハウスに戻ろう。管理人に会おう」彼は車を発進させた。
久しぶりだったので道に迷った。