最初の話 その二

 画面の前で私。
他人事ではないなあ、と呟く。


 事実、私自身もその一員、つまり夢破れてもなお東京にしがみついている一人の東京人だからだ。

 しかし、地元に仕事がないから、ということ以上に東京は魅力的な街で、私はそこにアディクトしていることを、ここにはっきりと認める者である。


 きれいな空気。
 私の田舎である静岡県にいた頃は、ひどかった。

 小学校は麻糸紡績工場の隣、中学は矢崎の工場の隣、高校は東レの隣、という、公害に汚染された空気を一日の半分は吸っていなくてはならない環境で、ほとほと辟易としていた。

 静かな隣人、そして揺れない環境。

 私の実家の隣には一日中旦那を罵倒し続けている太った女が住んでいた。
 その金切り声たるやもう烈火の如くで、窓を閉めようが音楽をかけようが、お構いなしだった。
更に言えば、東海道線がすぐ脇を通っていて電車が通るたびに家が軋み揺れた。

  今はどうだろうか。
 練馬区という東京の端での生活は、みなが言うほど悪くはない。
少なくとも、この近くに工場はないし、電車も通っていない。隣人も静かだ。

 そう。

 お気づきの人もあるかと思う。

よく言われる水の問題もそうであるが、
 つまり、
 なんだかんだいっても、

 やっぱり東京は魅力的な街だということだ。

 大阪なんかでは、やはり暮らせないだろう。都心に住むデメリットがそのメリットを遥かに超えてしまっている。名古屋なんか都会ですらない。デトロイトティーのようにならないのは、GMやフォードではなくてトヨタが指導しているという面が大きいが、それにしても東京とは比べ物にならない。

 もう一度言おう。それはとりあえずの宣言でもあるし、宣誓とも取れる、決意表明。

 私はそこにアディクトしている。くだらない批判もやらないし、生きるということがどういうことなのかというのもどうでもいい。ニートにも興味はないし、格差社会にも、トラウマ、自殺、いじめといったことにいたっては、語るべき言葉すらない。

 そんなことはどうでもいい。

 でももっと大切なことがある。
 多くの東京人が看過してしまっている。だけど、とても大切なことで、そして東京に住むものなら誰しも感じたことくらいならあるはずのもの。

 

 そんな話をしようと思う。それはこんな風に始まる。
 「まったく東京って最悪な」