結局のところにある、結局でないもの

私は、非常に頻繁に、嘘をつく。 もちろん、自分に対してだけだ。 人にはしない。 嫌われちゃうから。

嫌われることは、怖い。 人は、それを義務教育を通して学ぶ。 いや、少なくとも、私はそれを学んだ。 私は嫌われ者で、ずっと一人だったのだ。

自分で選んだ一人と、周りに押し付けられる一人は、決定的に異なる。 後者には自由の影さえ、見つけることができない。 私は、一人に閉じ込められながら、自分に嘘をつくことを始めた。

結果として、大嘘つきがここに誕生する。 
虚勢を張って集団に切り込み、圧死、悶死、惨死。死体は孤独の井戸へと放り投げられ、何ヶ月もそこに閉じ込められる。

実は死んでいない満身創痍の私は井戸の中で、こんな嘘をつく。

「 俺は選んでここにいる。 俺は選ばれた民。 俺は傷ついた狩人で、やつらの獲物だ。 今回は運が悪かった。 でも、もしここから出られることがあれば、俺は必ずまたやつらを捕らえて、今度は最低でも、刺し違える覚悟だ。 だから、誰か、俺をここから出してくれ。 礼はたんまりはずむから 」

そして何らかの恩寵があって、外の世界に戻った私は、再び集団とぶつかり、井戸の中に舞い戻る。

私が 「結局のところ」というとき、それはどこでもないところを指す。
外界との衝突と井戸の中。
この二つの道筋はループになっていて、その両端は常に移動をしているからだ。
角度によっては、私は戦いながら孤独の淵に歩み寄っているようにも見えるし、
深い森から餌を得るため飛び出した飢える獣のようにも見える。