★ 1878

成田空港に着くと、トイレに入ってトランクを開ける。
「おい、生きてるか?」
ペンギンはタオルに包まったまま、すやすやと寝ていた。寝息が魚臭い。昨日食べた鰯のせいだろう。

ペンギンの指図で日本に帰ってきたオレ(とペンギン)。は、とりあえず赤坂のザ・ビーに宿泊することにした。ホテルに着くと荷物を部屋まで運び、オレ達はやっと一息ついた。
「なあ、これからどうするんだ?オレ達はほとんど無一文なんだぜ」ベッドに寝転びながら、オレはペンギンに訊いた。2年前に稼いだ5000万は、島の購入代金とオーストラリアでの酒池肉林で、ほとんどゼロに近い状態だった。

「なあに、また仕事をすればいいだけの話さ」ペンギンは、何当たり前のこと言ってんだ、このガキ、馬鹿なんじゃじゃないか、という顔をして言った。といっても、ペンギンと知り合ってまだ日が浅いので、ただそんな風な顔に見えただけだが。
「仕事なんてしたくないぜ」オレは天井のランプの数を数えながら言った。ランプは細かいものまであわせると、12もあった。
「君が、短期的にしか、物事に集中できないことは知っている」
「?」
「だから取って置きの仕事を新宿に用意している」
オレは、さっぱり訳がわからなかったが、新宿へ行ってみることにした。何もすることなんて、ないのだから。

ひさびさに日本の空気を吸ったオレは、とても切なくなった。
すべては、12年前の4月30日で、仕事を辞めたことから始まった話だ。
まともな仕事を辞めて、アルバイト先で有紀と出会い、あいつに投資した金がバーストして、烏賊踊りをヒルズ・レジデンスの一室で踊って、伊豆に行ってホテルの経営を立て直し、エイミーと恋に落ちて、そして別れたこと。
ざっと前半部分だけ列挙してみても、いったいどの過去が今のオレと繋がっているのか、さっぱりわからなかった。
会社を辞めたことがきっかけのようなような気もするし、エイミーと恋に落ちたこと、そもそも伊豆へ行ったこと?オーストラリアに兄貴の一方的な都合で遊びに行って、2年間も毎日本を読んで、サーフィンを見ていたから?

どれもが原因のような気もするけど、いったいオレはなんでこんな風になってしまったんだ。いったい何だってペンギンと一緒に赤坂のデザイナーズホテルに泊まらなくちゃいけない羽目に陥ってしまったんだ?

どれだけ考えても答えはでなかった。
「なあ、エレコム」オレ達は地下鉄のシルバーシートに揺られていた。
「なんだい?」
「いったい新宿に何があるっていうんだよ?」
「そいつには、まだ答えられないな」
「どうして?」
「『マルタの鷹』って映画をみたことない?」ペンギンは急に話を変えた。
「ないよ」戸惑いながらも、会話に乗ってしまうと
「じゃあ、今晩一緒にみようじゃないか」
とはぐらかされてしまった。オレはため息をつくと、地下鉄のつり革広告に目をやった。

アイドルの浮気、政治家の汚職、経済動向などが、スクープされていた。
オレはどれにも興味がもてなかったが、ひとつ気になる記事の見出しがあった。
【若手投資家 有紀氏全財産を寄付!? ノーベル平和賞獲得までの全検証! 】
まさかとは思ったが、オレはその週刊誌の題名を一応覚えておくことにした。

新宿駅に降りると、ちょうど午後の三時だった。「飯でも食べようぜ」
オレが言うとペンギンは「なーに、今から行くトコにも飯はあるさ。焦ることはないんだよ」と
いって、東口の出口へと歩き始めた。オレは仕方なく自動販売機で珈琲を買って、空腹をごまかすことにした。

昼下がりの新宿は、相変わらず、何の街だかわからないままだった。
繁華街には、洋服、CD、ラーメン、寿司、薬、喫茶店、なんだかよくわからない店などが、処狭しとならんでいた。食べ物と香水が入り混じっていて、空気全体がよどんでいた。
ペンギンは、路地を器用に潜り抜けると、職安通りを渡って、花園神社のある方向へと進んでいく。
「おい、まだかよ」オレは空腹が我慢できなくなってきていて、後ろからペンギンに訊いた。
「まあ、待っていろって、あと少しだから」ペンギンは尻尾を振りながら、前を歩く。振り返らずに。