第三話 朝のパニック障害

8時22分。もちろん午前だ。

ボクは駅のホームで電車を待ちながら、ちょっとびっくりするくらい「あ~嫌だなぁ」と思っている。

なぜ?という人もあるので説明をしておくと、朝8時の時間帯というのは、都内であればどこの電車であっても筆舌に尽くしがたいほど「混み×2」である。山手、中央は当たり前、西武線、埼京、各地下鉄に至るまで、一体どこにこんなに人がいたのかと訝るほどのリーマン達でいっぱいになる。

その様を詳しく知りたい人は村上春樹著の「アンダー・グラウンド」を読んでみてくれ。そこにすべて書いてある。
まあ最も、日本の満員電車の酷さはアメリカ人でも知っているくらいなので日本人ならばみんな知っているだろう。

しかしボクは何もここで満員電車の密接感が嫌いな理由を口述、皆さんを説得し始めるわけではない。他人との距離はあればあったで良いが、そんなことは別段気にならない性分なのだ、ボクは。なにせ、小学校6年まで兄貴と同じ部屋を使っていたから。

ではなぜなのかと問われれば、自分は恐ろしいほど恥ずかしがり屋さんなのである。

?意味綱がらねぇよ、お前、と叱咤する方もあるかと思うが、聞いて欲しい。

ボクは、仰山のリーマン達が嫌なのである。

何が嫌かといえば、彼らのナリで、スーツにネクタイ、黒い靴、黒いバッグ、髪型もほぼ揃っていて、短いか長いかの中間ぐらいのものばかりで、まるで示し合わせたかのようにしかめ面をしている。
もしあなたが、アフロヘアーでラスタな服を愛し着用していて、へろへろーんとずんキマッたハッピーな顔で朝の8時に丸の内線なんかに乗った日にゃ地獄である。
乗客の半分を占めるだらう髪の薄ひ年配たちの呪詛の念の篭もった無言の叱責を喰らうからである。それで、朝からがっくしね。

統一性。

その統一性は、ちょっと前に大学の夏期講習で日本近代史を学んだボクに、戦争中の兵隊を思わせるのであります。

戦場のメリークリスマス」「愛と青春の旅立ち」「フルメタル・ジャケット」などの戦争映画に共通するのは規律の厳しさと共に、格好に顔つき、髪型から小物に至るまで、皆と一緒に揃えられた、恐ろしき統一性だとボクには思われるのです。

シャイが服を着て歩いているかのような自分は、多少なりとも客観性というものを持ち合わせた人がペアルックで渋谷を歩けないのと同じような心理で、スーツを着る仕事というものがどうしてもできないのであります。顔から火が出るほど恥ずかしいのです。
キッズたちに「あいつリーマンだ」と思われることに堪えられないのです。

ここでサラリーマンの定義ですが、雇われ人が全員サラリーマンだとは言いません。
ボクのサラリーマンの定義は、わき道に逸れられないほど会社に依存しきってしまった人間、のことです。
彼らは一様に目立たないスーツ、バッグなどを着用するようになる。出る杭は打たれる、と固く信じているのであります。

ボクは「スーツを着ないで済むところ」ということをいつも仕事探しの第一条件にあげていたのだけど、それを聞いた友人の多くはそれを真面目に受け取りませんでした。本気でないと思っているのであります。
しかしわたくしは断然マヂで、この度の大企業のお仕事もそれを第一条件にしてもらったくらいなのです。
「ボクがジャージで出社しても怒らないで下さいね」
 幸いにして、前出の長田課長は「面白いこというねぇ、君は。別に良いよ。カジュアルならなんでもいいから」と笑ってくれた。
 そんな寛大でユーモアがわかる人を怒らせたボクはある意味、やっぱり記録保持者である。

さて、それが一体なんなんだ、という話になるのだけど、ボクは彼らを見ると同じ国民として恥ずかしくなってしまうのである。「あと20年も経ったら、あのキッズたちに笑われるだろなぁ」って子供は国の宝と信じている自分はスーツを着ると、彼らのあるべきロールモデルを自分が体現できていなことに対し、苛立ちを感じてしまい、あくく、ごほほと意味不明の咳払いを繰り返してしまうのです、車中。
それは更に悪いことに最近悪化していて、いまではスーツを着ている人が沢山いる場所にいるだけで、頭がちょっとおかしくなって、へらへらダンスを踊りたくなってしまうほどなのである。
そうなるとこれはもうどっちが本当のバカなのかわからないので、なるべく朝は電車に乗りたくないと思っているのだが、理由はもちろん、それだけではない。

長ーーいスパンの言い訳になってしまいましたが、実は朝電車に乗るとパニック障害が起こるのである。