第一話 睡眠障害

 目が覚めると夜の10時だった。22時。

 今日は、まだ土曜日だった。
休みで良かった、と安堵の息を付き、枕元のマイセンライトに火を点ける。煙を中に吐くと、即座に会社のことが頭に浮かんだ。

 霞ヶ関にある某大手企業に勤め始めて早3ヶ月が経つ。
それまでフリーターとして自分をアートに見立て、自称「超アーティスト」として大学に通い、各国語を修め、必要があらば現地取材などと称して海外に飛び、世界狭しと活動していたボク、こと羊。そのボクが噂の、う・わ・さの大企業で働いてみると、これがまたヒドイ代物だったのさ。

会社はさながら10年使い古したパンツのゴムのごとくひどく弛みきって、大企業病を地で行くような内部のつまらない諍いで、業務は進行しねぇし、上司はコロコロ変わるし、引越し(席替え)も多いし、仕事は単調でヒマだし、まったく遣れないのであった。

同僚は善良な市民達。
 
 「朝起きてどの位の時間を空けてタバコの火を点けるかで、タバコの依存度が解るらしいですよ」
先日同僚の間宮が自慢げに話をしてきた。朝の10時にタバコを吸って席に戻ってくると、隣席の小太りなおっさん間宮がクンクンと、豚さながらにボクを嗅ぎ、タバコ吸ってきましたねぇ~、とかなんとか言いながら話しかけてきて、先述のトリビアをひけらかして来た。「自分はちなみに起床後1時間後位ですかね、あはは」
 
 「何が面白いんだよ、ええ?」と松田優作みたいに言えたらカッコいいのだけど、もちろん、文科系でチキンな自分は空手2段の間宮に対してそんな鷹揚な受け答えは出来ず、「そうですか、あはは」と曖昧な笑みを浮かべ、その場をやり過ごすのである。



 さて、祝日(木曜日)と土曜日にはさまれていた先の金曜日。
不眠症で出勤できなかった。というのは、やっと眠りにつけたのが、会社を休むと決めた9時30分だったのだ。

 約一ヶ月前から始まった不眠症
夜、布団に入るもまったく眠れず、帰宅後マラソンしたり、ヨガやったり、腕立て屈伸して、ストレッチ、ちょっと暖めたミルクを飲みながら、お香を焚いて座禅を組んでみるも、微塵も眠気を感じない。ええい、ままよ、と睡眠剤を齧るもこれも悲しいほどに効き目がない。
次の日に睡眠時間30分とかで起きると、当たり前だが会社で死ぬほど眠い。
 一体何だってんだ?俺の身体はどうなっちまったんだ!と叫んでみるも虚しく、出勤後から重度の眠気が雪崩のように襲ってきて意識を彼方へ押しやってしまい、ふと気が付いて画面を覗くと、まったく意味不明のメールを取引先に送っていたりする。
会議中はほとんど100パーセント寝ているし、眠すぎて昼ごはんの時間に飯が食べにいけない、つまり昼の一時間、机に突っ伏して寝ているのである。

―――そんな日々が続いた。
 そして完全に精神のバランスを崩したボクは、先々週ついに無断4日連続欠勤という部署内ではトップの記録を打ち立てて、寛容で有名な上司長田の叱責を食うこととなった。悪いことに、それに懲りず、またも金曜日に「欠」と振る羽目と相成った。
そしてその翌日、目覚めると夜の10時である。22時。

いやはや、遣れんよ、本当に遣れん。

ボクは、羊。27歳で某一流企業で働く、ノンキャリアノンポリの27歳♂である。
役職はまだない。
貯金もないし、彼女もいない。ハードボイルドには程遠い存在である。