第二十七章

「1000万分の100の確率ですね」医者は母にそう伝えらしい。

「あんた1000万分の100の確率で生き返ったのよ。1000万分の100倍頑張って生きないと、これからは」と大騒ぎする母の言葉を本当に解したのは、羊の死後78時間を少し過ぎた辺りからだった。

羊は復活した。
火葬場で入棺という時に、目を覚ましたのだ。
それはもちろん皆を驚かせたが、何よりも羊自身が一番驚いていた。



「あの世はどんなだった、羊?」初めて見舞いに来たポンは一頻り世間話をするとそう訊いた。
火葬場から程近いこの病院には、火葬場に向かう人は毎日いるが、その逆は羊だけ、らしい。本編とは関係ないが、看護婦の間でも羊はなかなかの人気者であった。

「良く覚えてないんですよ、暗闇と、光、それから右手・・・?犬もなんかあった気もするし、ブルーハーツが、すいません。本当に覚えていないんです」
「だから馬鹿は困るのよぉ、死んでも直んないんだから」とポンはあきれ気味に言った。
羊は首を2,3回コキコキと鳴らすと、ベッドから起き上がった。足腰は・・・、問題ないな、と一人ごちると、ジャブ・ジャブ・ストレートとポンに拳を放った。それはすべてポンの顔を捕らえており、何よりもテンプル・テンプル、人中と決まったため、ポンは意識を失い、その場で倒れた。倒れたポンを見下ろしながら、羊は一つ息を吐いた。そして言った。
「てめぇも一回死んでみたらどうだ?旅人さん」
松田優作風のしゃべり方だったところが、少し可笑しい。

ポンのズボンからセブンスターを取り出すと、それに火をつけた。看護婦がその内このタバコのにおいを嗅ぎつけて病室までやってくるだろう。ボクはどんな言い訳をするんだ・・・。
そんな思案をしながら、久しぶりに煙を肺に押し込んだ。

咳き込む・・・、咳き込む・・・・、もう一回、いや後十回近く咳き込んだ。

いがらっぽい咽を押さえながら、羊の思案は続いた。

そういえば、あの図書館の子どうしてるかな?

ふと羊は図書館の女の子を思い出し、漠然と不安に似た恐れを感じた。

なぜ、ボクは恐れる?何に?
わからない、わからないことだらけなんだ。ボクは弱い。

羊はぶるっと肩を震わせると、窓からタバコを捨てた。

そうだ、初めてタバコを吸ったのはあの子とセックスした日だったなぁ。

自殺後、初めて吸ったタバコで羊は軽い脳震盪に似た痛みを味わっている。



そして羊の予感どおり2分後に看護婦が訪れ、羊を医師達が詰問した。
しかしポンの血液中から大量の睡眠誘起成分が検出されたところで、医師達は「こいつは国家公認のヤク中だ。」と口々に言い出し、結局ポンは毒抜きのために入院となり、羊は不問とされた。

夜間、一人部屋の中で羊はあの時起こった出来事を反芻している。

ブルーハーツに救われるとは・・・・。よくわからないものだ。
「右手か・・・」と呟き右手をゆっくりと見つめる。
黒いひづめ、真っ二つに割れたその割れ目は左のそれと寸分違わず同じで、そのことを昔祖母に褒められたものだ。羊は、愛しそうにその手を頬に当てた。




もちろん羊はすべて覚えていた。が、このことを人に話す気はなかった。
経験というものは伝えられないものなのだ、と自殺騒動を通して学んだからだ。

羊はまた一つ賢くなった様子。
レベルアップ★