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 布原はその時22歳だった。東京大学を受験するため上京して以来東京に住み着いている。東京へ出てくる数ヶ月前に亡くなった祖父が少なくない遺産を彼のために残してくれたおかげで彼はこの年までいっさいの労働を忌避することができた。それはある意味大変な僥倖には違いなかったが、結果として彼の悩みを深くすることとなった。偏差値60もなかった布原には東京大学はもちろん慶応にも早稲田にもひっかかることはなかった。金に窮するまで布原の挑戦は続き、そうして4年が経った。もはや布原自身もいったい自分がなんのためにこんなことをしているのかわからなくなっていた。遺産も底をつきかけていて、外で食事をすることもままならなくなってきた。同級生のほとんどは就職し、予備校に通っていた友人とも顔を会わせ辛くなっていた。自滅は時間の問題だった。
 そのくらいの頃から布原は頻繁に頭痛に襲われるようになっていた。二日に一度、激しい頭痛が朝から晩まで布原を苦しめた。目が覚めると同時に顳顬から眼球にかけてバットで殴打を繰り返したような痛みが走り、目をあけることや息をすることすら困難な状況だった。彼はそれを現在の状況が与えるストレスのためだとは思わなかった。
 例によってハイパーな頭痛が彼を陵辱していたある日の午後、代々木の街角で頭脳を押さえながら嘔吐していると話しかけてくるものがあった。
 「どうなさいました?」声の主は女だった。「救急車を呼びましょうか?」女は布原の肩に手を当てると
布原の顔を覗き込んだ。
 久しく人と会話をしていない布原は最初それが自分に対しての言葉と気がつかなかったが、肩にふれた手は確かに人の温度のする柔らかい物体だった。なんとかこの優しさに応えよう。そう決めてホッチキスで閉じられたようになっている瞳に力を込めて何とか顔をみてみた。
 考えられないような醜女だった。後の布原の第一妻になる「麻宮時子」との出会いだった。